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  【 慧日寺悠久の千二百年TOP 】
ー  軒反りの美  ー
 
 絶妙な日本建築の要素

 「雀(すずめ)と大工は軒で泣く」という言葉が大工の世界にある。雀は軒先でさえずり、大工は軒づくりで苦労するという意味だ。社寺建築の屋根で、美しい弧を描き出す軒の反り。端部にいくにしたがってしなやかに反り上がる双曲線は、正面に立つ我々(われわれ)にあたかも大鷲(おおわし)が羽根を広げたような優美な姿を彷彿(ほうふつ)とさせる。風雨や暑い日差しをさえぎる軒の深い大きな屋根は、日本建築の大きな特徴の一つであると同時に、建物の美しさの大半は軒が演出しているといわれるほど重要な構成要素でもある。その絶妙なバランス感覚は、まさに大工の腕の見せ所といってよい。そのためには、垂木・隅木・木負(きおい)・茅負(かやおい)など、軒を構成する部材を個々につくり、それらを巧みに組み合わせて反りを成形していく。具体的には、地垂木(じだるき)に木負を継いで飛檐垂木(ひえんだるき)を載せ、少しずつ角度を変えていくという手の込んだ工夫が採られている。理想的な曲線をイメージしながらも、無理なく美しい木組みを案出するための規矩術(きくじゅつ)は最も難しい技術で、宮大工秘伝の技法でもあった。

 しかし、よくよく考えると、例えば雨の始末に軒の反りが特に必要ということではない。特別な規矩術や手間をかけての部材加工をもってしてまで軒にこだわったのは、古人(いにしえびと)の美に対するこだわり以外の何ものでもない。そもそも寺院建築同様、軒反りもまた外来の技法であった。それが奈良から平安時代にかけて、構造・様式ともに国風化される中で和様と呼ばれる建築様式が整えられ、我々日本人の感覚にあった緩やかで素朴な反りが生まれていったのである。

 復元金堂ではまた、側柱を隅にいくにしたがって少しずつ高くする「隅延(すみの)び」という技法も採用している。軒反りは屋根の先端部だけを反らせるよりも、建物の中から反らせた方が、より流麗な美しさを醸し出すことができる。そのため、柱本体の長さを変えて配置することによって、より内側から反りを作り出していくのである。この技法は、一般的に中世以前の建築に見られるもので、意匠上の理由のほかにも屋根の荷重などからくる隅柱の不同沈下に対応する技法とも考えられている。建設途中であれば、柱の頭頂部でそれぞれの柱を差し通して横につなぐ頭貫が、両端にいくにしたがってしなやかに延び上がっている様子から観取することができる。

 一般の方々にとっては、そのような機会を目にすることは恐らく稀(まれ)であろうが、竣工(しゅんこう)後でも、頭貫とその直下にあって水平に設置されている内法長押(うちのりなげし)とを見比べれば確認できるはずだ。僅わず)か5センチほどの微妙な長さの違いではあるが、古代建築の隠れた技巧であり、実際の建物を前にして「なるほど」と独り悦に入って微笑むもよし、はたまた薀蓄(うんちく)として披露されるかは読者次第といったところか。いずれにせよ、是非注目していただきたい技法の一つだ。事実、興福寺の三重塔は、明治期の修理に際し4隅の柱が長かったのに気づいたまでは良かったが、隅延び技法を知らなかったばかりに、事もあろうか均等に切り揃(そろ)えてしまうという致命的な造作を行ってしまった。軒反りのラインが修理前と変わってしまうのに気づいたころは、後の祭りであったという。

 尊像の幽玄さを筆頭に、とかく仏堂内部の荘厳性に目を奪われがちな我々にとって、何気なくたたずむ軒下。実はそこにも寺院建築の粋を凝らした匠(たくみ)の技が込められている。壮美な軒反りを生み出すために、大いに頭を悩ませたであろう工人の苦労に思いをめぐらせて見上げる軒下は、垂木組み一つをとってもまた違った見方ができて中々に興味深い。

 (磐梯山慧日寺学芸員)

白岩賢一郎

【 11 】

頭貫の反り上がりが確認できる隅延びの技法

軒反りを演出する木負の反りと角度

【2007年6月20日付】
 

 

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