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  【 慧日寺悠久の千二百年TOP 】
ー  仏前の灯り(下)  ー
 
 金堂で厳かな燃灯供養

 奈良の春日大社から東大寺一帯にかけての奈良公園では、クロマツが深々と生い茂っている。また、宇治の万福寺、洛東の銀閣寺など古刹(こさつ)の名園にもマツが多く、平安神宮、厳島神社、出雲大社など名のある大社の参道もマツである。春日大社の「影向(ようごう)の松」に至っては、春日明神が降臨する際の依代(よりしろ)であるともいわれている。

 マツはもともと長生の上、常緑であることから、しばしば節操・長寿・繁茂の例にたとえられ、縁起が良く、しかも神聖な樹木の代表とされてきた。慧日寺跡周辺では、今でこそスギが多く植林されているが「絹本著色恵日寺絵図(けんぽんちゃくしょくえにちじえず)」にはそうした針葉樹とともにマツがあちこちに描かれている。笠状の樹冠をもつ見事な枝ぶりからしてかなりの老木であって、アカマツであれば樹根ばかりでなく幹までべたつくほど樹脂を含む肥松もあったに違いない。それらはおそらく、伽藍(がらん)の清浄を保つといった役割ばかりでなく、格好の松明(たいまつ)材にもなったはずだ。

 社寺とマツの関係は、おおよそこうした2つの側面があったことがお分かりいただけたかと思う。ちなみに松脂は、湯を足して柔らかくし、ろうそく状にこね上げて利用したり、小皿に入れて直接火を灯(とも)したりもして、室内照明とする方法もあったようだ。

 ところで、仏前・神前にあげる灯(あか)りには、もちろん油も使われていた。古代の燈油については、大宝元(701)年の『大宝令』に一例を見ることができる。同令に義務付けられた地方からの貢献油の種類は、胡麻(ごま)油・麻子油(ましあぶら)・荏油(えあぶら)・〓椒油(ほそきあぶら)・猪油(いのあぶら)・金漆(ごんぜつ)などがある。それぞれゴマ・アサ・エゴマ・イヌザンショウの実から採った油だ。ちなみに、猪油はイノシシの膏(こう)で主として薬用に、金漆はコシアブラから採った樹脂を製したウルシ様のもので、塗料に用いた。

 日本におけるこうした植物燈油の普及は、仏教の弘布が大きく影響していたといわれる。仏教には多数作善という思想があって、その一つに万燈会(まんとうえ)供養が挙げられる。典拠とする「菩薩蔵経」には、懺悔滅罪(ざんげめつざい)して無上菩提(むじょうぼだい)を得るためには、十方仏の名号を誦(ず)して万の燈油を燃やし、さらに同数の香華果を供養するとあって、我(わ)が国では『日本書記』孝徳天皇の条に、白雉(はくち)2(651)年の暮れ、摂津味経宮(あじふのみや)で2100人余の僧尼を請じて、2700余の灯を燃やして一切経を読ませたという記載がある。その後天平16(744)年には金鐘寺(こんしょうじ)(東大寺の前身)で1万杯の燃灯(ねんとう)供養が行われ、さらに同18年には聖武天皇が金鐘寺に行幸し1万5700余杯もって盧遮那仏(るしゃなぶつ)に燃灯した記録が『続日本記』に記され、万燈会としてはこのころが嚆矢(こうし)となったのであろう。

 平安時代になると諸大寺で年中行事として行われるようになり、東大寺では法華堂で千灯会が、大仏殿で万灯会が供養されている。高野山では天長9(832)年に空海によって始められ、寛治2(1088)年、白河法皇の高野山参詣に際しては奥の院で3万灯が献灯されたという。その他、薬師寺・興福寺・四天王寺・北野天満宮などでも恒例供養となっており、前回で紹介した盂蘭盆会(うらぼんえ)の精霊送り火などは、この万燈会との関係が非常に深い。

 慧日寺跡の発掘調査においては、金堂と中門にはさまれたいわゆる前庭部から、自然石による石敷きの広場が確認されているが、一連の調査の中で、中門前方の石敷き面より油煤(すす)の付いた皿型の土器がまとまって出土している。

 1000年以上も前の素焼きの土器であるにもかかわらず、いずれもほぼ完形のままで残っており、仏前の燃灯供養に用いるため、恐らく特別に作られたものであったのであろう。慧日寺の石敷きは、万のともし火を配置するに十分可能な広がりを持つ。遙(はる)かみちのくの金堂でも、諸大寺にも劣らない厳かな燃灯の儀式があったに違いない。

(〓文字は木へんに”曼”の合わせ文字)

(磐梯山慧日寺資料館学芸員)

白岩賢一郎

【 19 】

薬師寺玄奘三蔵会の万燈供養


中門跡周辺の石敷き上からまとまって出土した灯明皿

【2007年8月15日付】
 

 

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