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  【 慧日寺悠久の千二百年TOP 】
ー  古代仏堂の土壁(上)  ー
 
 仏教文化が技術を革新

 1000年以上もの昔、朱塗りの柱に白塗り壁の色鮮やかな仏堂を目の当たりにしたみちのくの人々は、もちろん内部に安坐された厳かな諸仏も含めて、どんなに驚嘆したことであろうか。

 徳一の時代、本格的な仏教文化の招来は、この地の建築技術にも革新をもたらした。その大きな特徴の一つでもある壁。木舞(こまい)を組んで、土を塗りたくるだけの荒壁仕舞(あらかべじまい)程度であれば、さほどの手間を煩わせることなく、あるいはそれ以前からあったかもしれない。しかし、仕上げ塗りを施した壁となると話は別で、熟練した専門技術のみならず、鏝(こて)などの道具、材料もいわゆる地面を掘って得られる粘土だけでなく、化学的な反応を加えたある種工業製品ともいうべき素材が必要となってくる。

 そのような古代寺院の壁構造について知る上で、まずもって参考となるのは、奈良斑鳩(いかるが)の法隆寺の諸堂宇であろう。

 昭和9年に始まり、戦前・戦後とおよそ半世紀にも及んだ昭和の大修理によって解明された各建物の構造は、古代寺院建築史を志す技術者・研究者にとって垂涎(すいぜん)の的であって、壁にいたっては、まさに1300年前の技術がそこに塗り込められていたという表現がぴったりだ。世界最古の木造建築でもある、国宝の金堂を例にとって紹介してみよう。

 まずはその下地。ヒノキの小割材を、藤蔓(つる)で格子状に編んだ木舞で、これを太い間渡(まわたし)と呼ばれる横材で支えている。太いといってもこれが半端なものではなく、12×16センチ角と、現代であればちょっとした柱と呼んでもいいような大柄の材である。これが3メートル強の高さの各柱間に、7本も楔(くさび)を打ってはめ込まれているのである。耐震補強として、これだけでも十分に機能を果たしているといえよう。

 続いて土壁。最初の荒壁は粘土分が非常に強い土、中間層は粘土分が少ない篩土(ふるいつち)、最後の表土層は粘性がさらに少なく砂質の強い篩土を、順次塗り重ねている。おおむねこのような3層構造であるが、一部には4回に分けて塗られている個所もあったことが判明している。そして、最後に白土が塗られ、壁画が描かれている。壁画のない壁では表土層を省略し、中塗り層の上にすぐ白土が塗られている個所もあったという。

 さて、こうした壁土は粘土であれば何でも良いというものではない。確かに、壁技術の確立が未熟であった古代においては、建物周辺から調達した粘土を使ったようであるが、焼き物と一緒で次第に各地で適材産地が生まれていった。

 今回、復元金堂の荒壁には、壁材良質土の産地として知られる京都伏見の大亀谷地方のものを用いた。この土は「大坂土」とも呼ばれており、かつて大阪天王寺付近から産出されていたことに由来するという。

 ところで、壁土は多かれ少なかれ乾燥によって収縮し、ひび割れが生じる。粘土であるが故に、どうしても避けることはできない特性であるが、この収縮をできるだけ拘束し、ひび割れを抑制するのが壁土に混ぜられている切(すさ)の役目である。

 法隆寺金堂では、荒壁層には切藁(きりわら)、中間層と表土層には蒲(がま)の穂が用いられており、上塗りの白土にはイラクサのような植物性の雑繊維が、きぬたで叩(たた)いたがごとくほぐしたような状態で混ぜられていたことも確認されている。

 この切はまた、良質の壁材を作る過程の上でも一役買っている。粘土に切を混ぜ、それが十分に腐るまで何年も寝かせる。そこではバクテリアが発生し、そのタンパク質がいわば糊(のり)の役割を果たして、十分に乾燥させればより強い壁材になるという仕組みだ。結果として、壁材やこれに触れる材を腐らせないという作用にも転ずるわけだ。

(磐梯山慧日寺資料館学芸員)

白岩賢一郎

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古代寺院建築の宝庫=世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物群」


復元金堂の荒壁

【2007年8月22日付】
 

 

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