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  【 慧日寺悠久の千二百年TOP 】
ー  慧日寺を支えた人々實雅(下)  ー
 
 名刹の威厳 復興に尽力

 客殿の改修や諸仏の製作、さらには年中行事の整備など、實雅(じつが)が慧日寺を預かった20年間の功績は枚挙にいとまがない。

 元禄13(1700)年3月12日に入院した實雅は、1年をかけて疲弊した寺の現状やその歴史をつぶさに調べ、何をなすべきかを熟考した。彼の残した記録をもとに、その足跡をいくつかたどってみよう。

 彼がまずもって着手したのは、客殿の改修であった。入院の翌元禄14年3月には、客殿建て替えのための用材確保を寺社奉行に願い出ている。

 「当寺客殿は、天正年中磨上の一戦の折に放火消亡して以来、小屋懸け同然となっております。このたび建物が大破するに及び、毎年2月13日より16日まで行っている御国祭を執り行うのも難しくなってしまいました」とあるように、当時、慧日寺最大の年中行事であった御国祭(みくにまつり)の執行にさえ支障を来すほど、堂宇の荒廃が進んでいたことを訴えた。

 それに伴って「三間梁ニ十間之客殿柱壱間宛三方下屋」規模の建物に、松木230本を要するという材木注文も行った。地廻(じまわり)、梁(はり)、叉首(さす)、追叉首、角木(すみき)、小屋組、引物、垂木、裏河、副木(そえぎ)、尾曳(おびき)など、部材ごとに細かく本数・寸法を指定している。

 その意実って、元禄15年には無事に落慶。棟札には「當寺現住實賀建之行歳39」と見え、若くして成し遂げた再建は、さぞかし誇らしかったに違いない。その後も薬師堂、鐘楼(しょうろう)、橋などの修復に精力的に取り組んだ。諸堂宇の修繕が一段落すると、次に取り掛かったのは諸仏の造立であった。

 正徳3(1713)年本尊再興の覚には「当寺の本尊である丈六薬師尊像、脇侍の日光月光菩薩及び十二神将の像は、万治元年中に2度の火災に遭い、仏躰は残らず焼失しました」と見え、当時の慧日寺では本尊、脇侍の日光・月光、さらには十二神将までが万治元(1658)年の火災で悉(ことごと)く焼失し、僅(わず)かに本尊の左手薬壷(やっこ)を残すのみとなっていたことが知られる。

 實雅は、祖師への報恩謝徳と国恩に報いるため尊像の再興を発願し、正徳4年4月には本尊の再興開眼供養が行われた。この時に像立された仏像は、丈六薬師一躰、日光菩薩一躰長七尺、月光菩薩一躰長七尺のみならず、十二神将十二躰長三尺、磐梯明神像一躰長二尺五寸、天神像一躰長一尺、鬢頭盧(びんずる)像一躰長一尺五寸、大黒像一躰長三尺、弘法大師像一躰長二尺、徳溢大師像一躰長二尺と、合計21体にも上った。

 実はこの時の本尊再興には逸話が残る。というのも、間もなく完成を迎える段になった頃(ころ)「本尊と光背・台座を合わせると総高が二丈になってしまいます。現在の堂内は、屋上裏より敷板まで十七尺、縁下までは三尺あります。よって、敷板を取りはずし尊像を安置するようにします」と、薬師堂の床板を抜く修繕を願い出たのである。

 そうしたお粗末さに至っては、ある意味實雅の人柄を示すようで、なかなかに面白い。そのような顛末(てんまつ)を経ながらも、今度は年中行事の整備にも取り組んだ。

 正徳6(1716)年に記した「恵日寺役記」は、長さ1.5メートルにも及ぶ杉板に1年間の行事を記したもので、現在恵日寺本堂に残る。これ以前、貞享2(1685)年の書き上げ文書が残るが、例えば、児之舞(ちごのまい)や大多坊舞(だいたぼうのまい)など「寺役記」にはそれには見られない行事が新しく加わっている。

 それぞれ3月と7月に奉納されており、實雅が整えたものであることが分かる。大多坊舞は今では途絶えたが、児之舞は廃寺後も磐梯神社に引き継がれ、現在は巫女舞(みこまい)と名前を変え、その伝統を受け継いでいる。

 とにかく、彼は記録を残すことによって歴史を伝えようとした。そこには、名刹(めいさつ)としての威厳の復興に心血を注いだ一人の僧の姿があった。300年前、かつての栄華には及ばないものの、慧日寺は再び輝きを取り戻していったのである。

 中興實雅。彼の功業をもって、開祖徳一に通じる姿を思い浮かべるのは筆者のみではあるまい。

(磐梯山慧日寺資料館学芸員)

白岩賢一郎

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中興實雅坐像=恵日寺蔵


元禄に再建された恵日寺客殿(現恵日寺本堂)

【2007年11月14日付】
 

 

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