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保存強い古来の材料
日本の古社寺建築における大きな特徴の1つは、遠くから見た美しさにあるといわれる。
もともと権威と象徴を重んじた社寺においては、参詣者がご本尊やご神体の直前まで近づけるようになったのは、長い歴史の中で見ればごく最近であって、例えば法隆寺などでも、明治初期まで金堂の礼拝といえば管長ですらはるか手前の礼拝石から行うのが常であった。
そのため、我々(われわれ)の視界の大半を占めるのは建物の屋根ということになり、ある意味屋根を拝むといっても過言ではなかった。したがって、屋根の美しさは社寺建築においてとりわけ重要な構成要素であった。
さて、復元金堂の工事もいよいよ終盤を迎え、現在はその屋根葺(ぶ)きの真っ最中である。連載冒頭でも紹介したように、復元では栩葺(とちぶ)き屋根を採用しているが、板葺きの中で最も厚い板を使う栩葺きでは、曲げが効かない分伸びやかで美しい屋根の曲線を作り出すのに苦心するという。隅の納めは特に難しく、葺き足を揃(そろ)えるばかりでなく、勾配(こうばい)や上方に向かって、しかも反りを有しながら収束する屋根幅を計算しないと、寄棟の四隅を飾る流麗な直線ラインは生み出せない。
曲線と直線をいかに調和させるか、屋根上では連日のように職人たちが試行錯誤を繰り返している。ところで、およそ3万枚、五分にも及ぶ厚い杉板を打ちとめるには竹釘を用いる。
何ゆえに竹釘か。鉄釘も竹釘も、一本一本手作りには違いなかったが、素材の身近さ、製作の手間などにおいて圧倒的に竹釘が勝っていたからだ。第一に腐食しにくい。
一見丈夫な鉄釘も、風雨に直接晒(さら)される屋根の場合は、錆(さ)びがまわって脆(もろ)くなり易やすく、そうすると平頭部分が取れてしまう。それに対し、竹釘は打ち込む際に頭の部分をほどよく潰(つぶ)せば、葺き材がそれ以上浮くことも無く、しっかりと留めることができる。
実際檜皮葺(ひわだぶき)などでは、葺き材が腐食しても、竹釘は剣山のように屋根上に残っているという。その原材の竹であるが、我が国の竹類は今では中国を原産とする孟宗竹(もうそうちく)が約半分を占め、厚く弾力性のある繊維を持つ真竹(まだけ)(苦竹)は3割程度で、その他淡竹や根曲竹などが若干である。
このような分布状況から、現在ではほとんどが孟宗竹を使用しているというが、今回の復元工事では文化財整備という観点から、あえて古来の材料であった真竹を用いた。
竹は周径七〜八寸(約20〜25センチ)程度で節の間隔が比較的長いものが扱いやすく、これをまず丸鋸(まるのこ)で二尺五寸から三尺程度に荒取りする。続いて、節が端部になるようにして縦方向に2分割し、そこから四分割、八分割と五分ぐらいまで小割りにしていく。釘に使うのは外側の堅い部分なので、内面の肉質部分は包丁で切り離す。
その後しばらく天日で干して乾燥させた後、今度は節を端にして、小刀でさらに細かく分割していく。そうすると、櫛の歯のような状態になり、繋(つな)がっている方を持って、歯を少しずつねじりながら削っていくと、面取りされた釘の外観が仕上がっていくという具合である。
その後の裁断は、現在では機械化されているというが、本来は専用の切り台を用いて釘先を削り、続いて所定の長さでもう一端を直角に切り落として1本が出来上がるのである。
釘の成形としてはここで終わるが、強度を持たせるためには、再度天日干しを行った後に大釜で乾煎(からい)りする。そうすることによって、竹に含まれる竹瀝(ちくれき)と呼ばれる油脂や、酢酸・メタノールなどが溶け出して耐水性がありしかも弾力性に富む製品に仕上がるのだそうだ。
栩板の寿命は30〜40年ほどと言われるが、それを留める竹釘がどのような経年変化を示すのか、保存科学の視点からも注目されるところだ。
(磐梯山慧日寺資料館学芸員)
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白岩賢一郎
【 33 】
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屋根板は1枚ずつ竹釘で留める
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復元金堂で使用されている竹釘 |
【2007年11月21日付】
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