【第3部・斎藤清<中>】簡潔な構成、深み増す

 

 版画家斎藤清(1907~97年、会津坂下町生まれ)の画業を見渡すと、一人の画家が生み出したとは思えないほど多彩な表現やイメージに出くわす。ただし、一貫しているのはシンプルな構図だ。斎藤は画面の単純化を理念としながら、生涯を通じて自らの芸術を追い求めた。

 評価、まず海外で

 斎藤が晩年を過ごした柳津町に、斎藤清美術館がある。その名にたがわず、作品や関連資料の収蔵数は千点を超え、他に例を見ない。同館学芸員の伊藤たまきさんによると、斎藤は生涯に2千点超の作品を残したとみられているが、まず海外で評価を得たため、調査が及んでいない部分があるという。

 リアリズムが基本

 斎藤が世に出た戦中、戦後は抽象表現が花盛りだった。斎藤も抽象に近づくが、あくまで作品は具象だ。伊藤さんは「(斎藤は)基本的にリアリズムの画家。現実をテーマにスケッチを基に描き、特徴を外さない」と言い「シンプルを根底に、現状に満足することなく複雑な要素を加えようと模索してきた」と語る。

 初期の代表作「ミルク」(49年)。明快な色彩と平面的で簡潔な構成、絵筆で塗ったような厚みのある質感は、40~50年代に特徴的な作風とされる。少女が左手を使っているのは、斎藤によると「裏返して彫ることをしなかったせいだろう」(「私の半生 斎藤清」)。本人も言う通り、ご愛嬌(あいきょう)といったところか。

 新境地の70年代

 闘いの日々が70年代以降の作品に結実する。構成こそ単純だが、そこには深い精神性が根差しているような奥行きを感じさせる。木版画「競艶(きょうえん)」(73年)のひょうきんな猫たち。シンプルながら単なる面の構成にとどまらず、洗練されている。

 気付けば、斎藤はよく猫を画題としている。県立美術館(福島市)の学芸員、増渕鏡子さんは「(斎藤に)猫がお好きなんですね、と聞いたら『好きじゃない』と返され、本当かなと思った」と笑う。「猫好きじゃなければこんな表情は捉えられない」と伊藤さん。猫を抱いて柔和な表情を浮かべた写真もあるが...。真相は謎だが、変幻自在に動く猫は興味深いモチーフだったようだ。

 シンプルかつ深く。苦闘の果てに新たな境地を切り開いた70年代。斎藤は満を持して代表作「会津の冬」シリーズに挑むことになる。闘いはまだ終わっていない。(一部敬称略、高野裕樹)