【 避難生活と順応(4) 】 進学先"揺れる母心"

 

 「そろそろ本腰入れた方がいいんじゃない?」

 「うーん、やっぱりそうだよね」

 冬期講習話し合う

 東京電力福島第1原発事故に伴い帰還困難区域に指定された浪江町大堀地区から、本宮市の恵向応急仮設住宅に避難する介護士山本みどり(47)は昨年暮れ、長男裕士(14)=浪江中3年=と高校受験について話し合った。塾の冬期講習に通い、集中して勉強してほしいという思いがあった。

 裕士ら家族は震災後、猪苗代町を経て2011(平成23)年8月から同仮設住宅で生活している。裕士は二本松市の郊外、下川崎地区に再開された浪江小に、さらには同市針道地区の廃校に入る浪江中へと進んだ。どちらも通学バスで約1時間かかる。

 冬期講習は学校でも行われているが、同級生が近くにいると、おしゃべりなどをして集中できないと、みどりは思った。模擬試験などの結果によると、裕士の今の学力は、志望校に合格できるかどうかのボーダーライン上。知り合いがいない環境で、勉強に打ち込んでほしかった。

 仮設住宅に住み始めて3年以上がたち、生活は落ち着いてきた。浪江町に住んでいたころより近くに、大きなショッピングセンターがある。最初のころは浜通りではめったに降らない大雪に驚いたが、今ではそれに備えて長靴をそろえる習慣も身に付いた。

 2部屋の仮設住宅

 ただ、かつて住んでいた一戸建ての自宅とは違い、仮設住宅は2部屋しかない。居間のテーブルの前にはテレビがある。そして、ゲームや、裕士の好きなSF、ライトノベルなどの小説。「集中できるわけがない」という考えは、親子の間で共通していた。

 生活する上で、仮設住宅から離れた方がいいとは思っている。「帰還困難」の意味を思えば、移住も考えざるを得ない。ゆくゆくは、親族がいる南相馬市に住むことも検討している。だが、裕士には、希望する郡山市の高校に進学してほしい。だから今は、原発事故避難者向けに建設される本宮市内の復興公営住宅に入居希望を出している。

 裕士は結局、昨年12月23日から塾の冬期講習に通った。「やっぱり、自宅や学校よりも集中できる」という。みどりは、塾へ向かう裕士の背中を見つめては「変化に対応しながら、たくましく成長して」と願った。(文中敬称略)