【 地域へのまなざし(3) 】 古里つなぐ学びの場

 

 「浪江に帰りたいと思っている人は多いんだなあ」。昨年12月、避難先の二本松市にある浪江小で6年生だった山田貴光(12)は、「ふるさとなみえ科」の学習の一環で同市の仮設住宅を訪れ、お年寄りにインタビューした。それぞれ考え方は違っても、町への帰還をめぐる思いは似通っていることに気付いた。

 仮設住宅で交流図る

 原発事故で古里を追われた浪江の子どもたち。ふるさとなみえ科は2012(平成24)年に始まり、大堀相馬焼など浪江の伝統文化を学んだり、仮設住宅のお年寄りなどと交流を図ったりしている。

 同校の校長遠藤和雄(56)は「地域の中での学習は以前は自然にできていたこと。避難で地域が『あってないようなもの』になった今、それをあえて『ふるさとなみえ科』と位置付けて実施している」と説明する。

 さらに遠藤は、全町避難という特殊な環境下で、子どもたちが果たしている役割について語る。「学校を中心に、避難で散り散りになった地域をつなぐ役割を、学習を通じて子どもたちが担っている。子どもたちが地域について学んだことを発信することは、浪江の地域再生につながると考えている」

 "浪江の思い出"新聞に

 震災、原発事故から丸4年となった3月11日、同校でふるさとなみえ科の発表会が開かれた。「仮設のお年寄りに、浪江の思い出は何か聞きました。一番多かったのは(浪江の最大の伝統行事の)『十日市』でした」。子どもたちは自分たちでまとめた新聞を前に、これまでの学習を振り返った。

 発表に聞き入った境野健児福島大名誉教授(70)=教育学=は「避難という逆境の中、伝統行事の継承などに向き合う大人の姿を見て、子どもたちは『生きる力』を学んでいるのだろう」と学習の意義を語る。

 貴光はこの日、仮設住宅での交流会で歌を披露し、お年寄りが笑ってくれた経験を発表した。「もともと歌は苦手だったけど、浪江の人たちの前で発表してどんどん自信が出てきました。中学校に行ってからも交流を続け、新しい発見をしていきたいです」。発表の締めくくりに、学習内容をまとめたカルタを読み上げた。

 〈笑顔見て 自信あふれる 僕たちは〉(文中敬称略)