【 被災をバネに(3) 】 「新天地」で高校進学

 

 「いわき総合高校に進学したいんだ」。昨年8月、会津若松市の借り上げ住宅で、大熊町から避難している石田瑞希(15)は、母親に進学希望の高校について思いを伝えた。一家は既にこの時、いわき市内に新居を建てていた。「自分の選択であれば、それでいいと思うよ」。母親からは、背中を押してもらった。

 震災後、瑞希と家族は三春町を経て会津若松市に避難。大熊町の自宅は福島第1原発から20キロ圏の帰還困難区域に指定された。

 家族でいわきへ移住

 「当分、帰還は難しいだろう」。家族が出した結論は、いわき市への移住。父親が浜通りで仕事をしていることも転居の決め手になった。ただ、瑞希には「地元の友達と一緒に大熊中を卒業したい」という思いがあった。家族と相談し、いわき市に移るのは中学校卒業後と決めた。

 瑞希が進学先にいわき総合高を選んだのは、中学校で熱心に取り組んだ吹奏楽が盛んで、将来に向けた資格取得もできると考えたから。入学から20日余りが過ぎた今、新しい友達もできて、部活動の雰囲気も良い。「この学校に入学して良かった」と思う。

 「進学先が震災前と比べて広がった」。昨年瑞希らの進路指導に当たった大熊中教諭の阿部則代(45)は実感する。今春の卒業生29人は全員、高校に進学した。しかし、広野町に開校したふたば未来学園高を含めて浜通りの高校に進んだ生徒が14人、会津の高校に11人、中通りは4人と、地域はばらけた。

 生活状況考えて進路

 「地縁」が薄まり、家庭の生活状況を考えて進学先を決める人も少なくない。広範囲に情報収集が必要となる中で、教員は卒業生の話を聞いたり、他校の教員と情報交換したりして、進路を選択する生徒と向き合っている。

 大熊町に住んでいた小学生のころ、瑞希は家族から冗談めかして「家から近いし、双葉高に行けばいいんじゃない」と言われたことを覚えている。中学校の友達とは、数人を除いて離れ離れになったが、携帯電話の無料通信アプリ「LINE(ライン)」を使って今も連絡を取り合う。古里とのつながりは、薄まったようでも確かに残っている。そして、古里にいたころから抱いていた「医療事務の仕事に就きたい」という夢は、震災を経て一層強い思いになった。(文中敬称略)