【 北塩原村・大塩裏磐梯温泉 】 しょっぱ~ぃ地域の宝「会津山塩」
裏磐梯の雄大な自然に囲まれた地で全て手作業で製造され、優しい味わいが近年注目されている「会津山塩」。その山塩の原料となる温泉水を源泉とする北塩原村大塩地区の「大塩裏磐梯温泉」。車を降りると、ほのかに塩の香りが漂い、海辺にでも来たかのような感覚に陥る。
会津山塩の歴史をひもとくと、平安前期、真言宗の開祖・空海(弘法大師)に行き着く。約1200年前、大塩地区を訪れた空海が17日間護摩を焚(た)くと塩の水が湧いたという。山間部での貴重な塩分として、平安時代から温泉水を薪窯(まきがま)でじっくり煮詰めて作られ、江戸時代は「献上塩」として会津藩に上納された。明治時代には皇室にも献上される一級品として知られるようになる。しかし、製塩技術が高度化し、良質な塩が安価に流通するようになると、大塩地区での製塩事業は下火となった。
「温泉は地域そのもの」と話すのは、塩姫の宿観山専務の蟹巻尚武さん(57)。泉質はナトリウム塩化物強塩泉で、塩分濃度は約1%。血液の巡りを良くし、神経痛やリウマチなどに効果があるという。
◆芯からぽかぽか
蟹巻さんの話を聞き、すぐさま観山の大浴場に向かった。透明な湯を口に含むと、確かにしょっぱい。海水より少しさらっとした湯に肩までつかった。「おや?」。湯から上がると、体全体がぽかぽか温まった感覚がする。「お客さまによると、体の芯から温まり、不思議と長続きするらしいです」。蟹巻さんの話を思い出し、納得した。
大塩地区で本格的に温泉としての利用が進められたのは昭和初期ごろとされる。「裏磐梯に行く前の休憩地としての利用が増えていった」。大塩裏磐梯温泉組合長の五十嵐秀二さん(62)=旅館米沢屋三代目湯守=によると、昭和30年代に次々と旅館の建設が進み、源泉は数カ所あったが、安定的な供給を目指して本格的な掘削も行われた。「しょっぱい温泉」は全国的に注目を集め、ピーク時は約10軒の温泉宿や民宿に多くの客が訪れたという。「スキーブームで『スキー場に一番近い温泉街』と宣伝していた時代もある」と五十嵐さん。1986(昭和61)年に猫魔スキー場が開場し、週末はスキー客でにぎわった。
しかしバブル景気の終焉(しゅうえん)とともに旅館は減り、現在、営業するのは観山と旅館米沢屋の2軒のみとなった。温泉街の危機に地元が立ち上がり、途絶えていた製塩事業が2005(平成17)年に復活。「温泉があるから山塩ができる。山塩効果で、温泉の問い合わせも増えている」と会津山塩企業組合代表理事の栗城光宏さん(46)。山塩の復活が再び温泉に注目が集まるきっかけとなった。
私たちの食生活に欠かせない塩。温泉もまた生活に欠かせない。「山塩と温泉には、まだまだ秘めている力がある」。ほどよい塩加減の湯に再び身を預け、自然の力に心から感謝した。
【メモ】▽塩姫の宿観山=北塩原村大塩字中島道北5111 ▽旅館米沢屋=北塩原村大塩4447
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【道の駅ではソフトが人気】会津山塩企業組合が製造する「会津山塩」を使った商品開発が県内外で進められている。県内のラーメン店や菓子店でラーメンやシフォンケーキなどに使われているほか、大阪や宮城など県外の飲食店でも「会津山塩」を売りにした商品があるという。北塩原村の道の駅裏磐梯では、会津山塩を使った「会津山塩ソフト」(税込み350円)を販売している。あっさりとしたバニラに会津山塩をブレンド。塩気の中に甘さがしっかりと感じられ、同道の駅の人気商品となっている。「会津山塩」に関する問い合わせは同組合へ。
〔写真〕道の駅裏磐梯で販売されている「会津山塩ソフト」
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