【 福島市・高湯温泉 】 斎藤茂吉が愛した「隠れ家」 あえて不便さ

 
自然に囲まれた露天風呂「山翠」。青みを帯びた乳白色の湯は柔らかい

 青みを帯びた乳白色の湯に触れると、硫黄の香りに包まれる。ミズナラの木々が立ち並ぶ石畳を80メートルほど上り、たどり着いた露天風呂は誰にも邪魔されない隠れ家のようだ。目の前に広がるのは自然だけ。騒がしい日常を忘れ、近くを流れる沢の水と湯船に注がれる源泉の音に、耳を澄ます。福島盆地を見下ろす標高750メートル、磐梯吾妻スカイラインの玄関口に高湯温泉は位置する。開湯400年以上の歴史を誇り、山形県の蔵王温泉、白布温泉とともに「奥州三高湯」とうたわれる名湯だ。

 訪れたのは高湯温泉に7軒ある旅館の一つ、吾妻屋。10の客室に、風呂は貸し切りを含む五つの露天風呂と三つの内風呂の計八つとぜいたくなつくり。「宿泊客にのんびり、ゆっくり過ごしてほしい」と、日帰り入浴はやっていない。便利な時代の中で、あえて"不便さ"をキーワードに、離れに造った露天の岩風呂「山翠」が一番人気だ。硫黄泉で、湯温は42度。肌を伝うお湯が柔らかい。湯上がり客に休憩処(どころ)として開放している大正時代の古民家で一休みする。

 ◆全国区の人気に

 吾妻屋は歌人斎藤茂吉が1916(大正5)年夏、1週間ほど滞在した宿。「山の峡(かい) わきいづる湯に人通ふ 山とことはに たぎち霊し湯」。茂吉が高湯温泉と、湯につかる旅人との心の触れ合いを詠んだ歌が残る。

 九つの源泉から湧き出る湯を地形の高低差を生かして引き込み、加温、加水を一切しない「100%源泉掛け流し」を守る高湯温泉には、昔から「三日一回り、三回り十日」と伝わる入浴法がある。一回りで湯に体を慣らし、二回りで患部を治し、三回りで健康になる―という意味。他の温泉は「七日一回り」とされており、高湯温泉の効能を表している。

 2013(平成25)年、この経験則に基づく効能を科学的に検証するため、高湯温泉観光協会は東京女子医大などの協力の下、3泊4日の「プチ湯治」と、週2日以上の入浴を2カ月以上続ける「通い湯治」の二つの方法で、採血による人の白血球中の免疫細胞の増減などを数値化して比較解析する調査を実施。その結果、入浴の効果として免疫細胞の活発化などが示されたという。

 高湯温泉は関ケ原の戦いから7年後の1607(慶長12)年に開湯した。元禄以降は「薬湯」として広まり、20~30棟の宿屋が軒を連ねたが、戊辰戦争に巻き込まれ、米沢藩によって焼け野原にされた。それから150年。大手旅行サイトの人気温泉地ランキングで総合満足度1位に輝くなど、その評判は再び全国に広まった。「大規模な旅館や施設に押されていたバブル期に『これからは真水を沸かしてジェットバスにする時代だ』と有名なコンサルタントからアドバイスを受けたけど、そうなのかなと思いつつも金がないから『そんなもの作る気はない!』と意地を張ったんだ。ようやく世の中が高湯に合わせてきたのかな」。吾妻屋社長で観光協会長も務める遠藤淳一さん(63)がいたずらっぽく笑った。

 取材を終え車で30分、福島市中心市街地に下りてくると、肌に残った硫黄の香りに気付いた。「あぁ、すてきな温泉だったな」。余韻に浸れるのも、また魅力だ。

 【メモ】吾妻屋=福島市町庭坂字高湯33。効能は神経痛、婦人病、皮膚病、糖尿病など。

福島市・高湯温泉

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 【採れたて農産物が充実】県道の通称・高湯街道と通称・フルーツラインが交差する福島市在庭坂字薬師田にあるJAふくしま未来の直売所「ここら吾妻店」。季節の採れたての果物や野菜を豊富にそろえており、多くの観光客が立ち寄る。夏季はモモがおすすめ。軽食コーナーも併設。営業時間は午前9時~午後6時(7~9月)。盆期間は午前中混み合う。

福島市・高湯温泉

〔写真〕旬の果物や野菜が並ぶ店内。8月はモモがおすすめ