【 いわき市・湯本温泉 】 『逆境』負けぬ街の象徴 江戸の風情再現

 
八角形の形をした木の香り漂うヒノキ風呂「幸福の湯」。源泉掛け流しの天然硫黄泉で常連客も数多い

 いわき市の温泉地で最も知名度のある湯本温泉。数々の温泉旅館が立ち並ぶ中、江戸時代風のたたずまいが目を引く建物がある。市公園緑地観光公社が管理、運営する公衆浴場「さはこの湯」。同公社によると、純和風の立派な門構えや火の見やぐらを模した建物は、湯本温泉のシンボルとして整備されたという。地域に愛される湯につからせてもらおうと門をたたいた。

 湯本温泉の歴史は古い。さはこの湯近くに温泉神社がある。市常磐湯本財産区史によると、平安時代の延長5(927)年に編さんされた「延喜式神名帳」に、全国温泉神社4座の一つとして、「陸奥国磐城郡小七座温泉神社(いわきごおりしょうななざゆのじんじゃ)」との記載がある。現在の道後温泉、有馬温泉などにある神社と並んで表記されているという。江戸時代には浜街道の宿場町として栄えたほか、街道唯一の温泉地としても有名だった。

 明治~昭和の炭鉱時代、湯本温泉周辺でも開発が進んだが、採掘の際には、湧き出る温泉は邪魔者扱いされることもあった。しかし、市内の石炭産業が衰退していくにつれて、温泉がまちづくりなどにますます活用されるようになった。すべての炭鉱が閉山になった今も、湯本温泉に湧き出ている湯は当時のままという。一つの産業を失っても立ち上がってきた温泉街の人々の胆力に驚かされる。

 ◆平日から大人気

 侍や鉱山で働く人などさまざまな人々を癒やしてきたであろう湯本温泉の泉質は硫黄泉。慢性皮膚病や切り傷、やけどなどに効くらしい。さはこの湯の効能も同様だ。水素イオン指数(pH)は7.6。場合によっては温度調整のため加水することもあるというが、ほぼ源泉掛け流しの状態で、湯温43~44度で提供されている。同公社総務課の遠藤康裕さん(50)は「濃い温泉に入っていることを実感してもらえると思う」と泉質を推す。銀は硫黄と化学反応を起こし、茶色に変色してしまうといい、アクセサリーを身に着けている人は注意が必要だ。肌が乾燥気味だったので、遠藤さんの言葉を思い出しつつ、浴場の戸を引いた。

 目に入ったのは10人近くの来場客。決して広いとはいえない空間で、気持ちよさそうに湯を楽しんでいた。「公衆浴場の、平日の昼間にこんなに人が」と圧倒された。遠藤さんによると、平日の入り込み客数は200~300人で、土日ともなると500人ほどが来場するという。いざ自分も湯につかる。心地いい温度に自然と声が漏れた。目を閉じてみると、温泉が流れる音と客が体を洗う音しか聞こえない。会話がなかった。「いい湯につかるときに会話は無粋」といわんばかり。だが表情は緩み、幸せそうな顔が並ぶ。

 さはこの湯の浴場はヒノキ風呂と岩風呂の2種類で、女湯、男湯を1日おきに入れ替える。取材で訪問した日の男湯はヒノキ風呂で名称は「幸福の湯」。男性客たちの表情に納得した。

 【メモ】さはこの湯=いわき市常磐湯本町三函176の1。営業時間は午前8時~午後10時。

いわき市・湯本温泉

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 【炭鉱時代から変わらぬ味】湯本の温泉街にたたずむ老舗の食堂「お食事処 玉半」は、建物こそ新しいが、創業から60年を数える。炭鉱時代から地域住民や炭鉱で働く人たちの空腹を満たしてきた味を変わらず提供している。人気はカレーとカツ丼。肉体労働者向けに、濃いめの味付けがされている。炭鉱時代当時は、作業現場に出前も届けていたという。2011(平成23)年3月11日の東日本大震災で建物が全壊、一時休業に追い込まれた。しかし、周囲の再開を望む声に押され、13年に再びのれんを出した。記者はカレーをいただいた。ほどよい辛さと素朴さを感じる味にスプーンが止まらない。営業時間は午前11時30から、ご飯がなくなり次第終了。日曜定休。

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〔写真〕玉半のカレー。素朴な味わいで人気を集めている(写真は大盛り)