【映画・物置のピアノ】桑折町 「心の壁」を超えてつながる気持ち

皇室などに献上する「献上桃」の産地として知られる桑折町。町内には多くのモモ畑があり、春にはピンク色の花が満開に咲く様子は桃源郷を思わせる。しかし町のモモ農家は、2011(平成23)年の東京電力福島第1原発事故の影響で風評被害に悩まされた。
震災1年後の桑折町を舞台に、モモ農家の娘である高校生が、家の物置に置かれたピアノを通し成長する様子を描いた映画が、14年公開の「物置のピアノ」(「物置のピアノ」製作委員会、似内千晶監督)だ。作品には、風評被害に苦しむモモ農家の葛藤や、東日本大震災と原発事故のため町内に避難してきた浪江町の人々との交流など、当時の様子が丁寧に描写されている。
主人公は、卒業後の進路に悩む高校3年生の宮本春香(芳根京子)。将来はピアニストになる夢を抱いているが、家族に打ち明けられないでいた。そんな春香にとって、家の物置にあるピアノを演奏することが唯一の心安らぐ瞬間だった。
町民らが参加
撮影は13年、桑折町などで行われた。「撮影に使われた家はどこだろう」。調べてみると家は町内にあり、今も人が住んでいるという。映画の風景や聞き込みを頼りに、半日かかってようやく見つけた。「撮影に使われたこの家は、私の生家なの」と、家主の高橋恵子さん(67)が教えてくれた。
高橋さんは撮影当時、別の場所に住み、家は空き家のような状態だったという。ピアノが置かれた物置は、撮影のために組み立てられたものだった。
周辺を見渡すと撮影で使われていた縁台があった。映画の終盤で姉の秋葉(小篠恵奈)に、父である賢一(平田満)が春香のピアニストへの夢を応援したいと告げるシーンが浮かんだ。
高橋さんは「映画を見ると、当時の家を思い出す。今はリフォームをして外見は変わってしまったが、思い出がたくさん詰まった家だった」と話した。
高橋さんの家を出ると、遠くに広がるモモ畑が見えた。春香の祖父である正賢(故織本順吉)もモモ農家で、劇中でも原発事故による風評被害に苦しむ姿が描かれている。
畑の道を車で進んでいると、枝切りに汗を流す後藤哲男さん(63)に出会った。後藤さんは、正賢とモモの風評被害について会話する農協職員として出演したと言う。「天候によって撮影が中止になったりすることもあって、出演したシーンは3回くらい撮り直した」と懐かしそうに話す。
桑折産のモモは風評被害で販売単価が震災前の半分以下になった時期もあり、農家は生活に苦しんだという。高齢化や後継者不足で、廃業した農家もあったそうだ。後藤さんは「風評の影響は、少しずつ改善している。全国が『福島を助けよう』という機運につながったのも映画のおかげかな」とほほ笑んだ。
映画のクライマックスは、浪江町から避難してきた住民らへのチャリティーコンサートのシーン。春香がピアニストを目指す決意を固める場面だ。
劇中、春香が通う保原高(伊達市)の吹奏楽部が会場で演奏するが、住民らの反応は薄い。すると正賢が、童謡の「ふるさと」を演奏してほしいと申し出る。春香がピアノで伴奏を始めると、人々は歌詞を口ずさみ、いつの間にか大合唱となる。
撮影は同町の醸芳小の体育館で行われ、多くの町民がエキストラとして参加した。浪江町から町内へ避難し、今は南相馬市に住む渡部茂之さん(81)もその一人。「みんながそれぞれのふるさとを思って歌っていた。自然と涙があふれてきた」
関係性を表現
桑折町には震災直後の11年4月、被災者を受け入れるため応急仮設住宅が設置され、浪江町から多くの人々が避難してきた。15年に復興公営住宅「桑折駅前団地」が整備され、今も生活する人がいる。
震災後、避難してきた人々と、受け入れた町の人々の間には、少しぎくしゃくした空気があった。しかし、互いにふるさとを大切に思う気持ちは同じだった―。当時を知る人はそう振り返る。そして、この映画では、そんな互いの気持ちに気付かせてくれたのが音楽だった。
渡部さんは「コンサートのシーンは、町民同士の関係をうまく表現していた。桑折の人たちが私たち浪江の住民を温かく迎え入れてくれたから、前向きな気持ちになった人も多かったと思う」と感慨深げに語った。
当時高校3年生だった春香は今年26か27歳になっているはずだ。記者も同年代。映画のシーンを思い出しながら町の中心地を歩いてみた。旧伊達郡役所から周辺に仮設住宅が立ち並んでいた蚕糸記念公園、そしてJR桑折駅前。震災から10年を迎える町並みは、撮影当時から少しずつ姿を変えている。でも、同じ道に立ってみると春香が見た風景が鮮明によみがえるように感じた。(一部敬称略)
【アクセス】醸芳小はJR桑折駅から車で約3分、徒歩約10分。近くには公民館や児童館がある。
◇
【映画「物置のピアノ」】 桑折町のモモ農家の次女春香が主人公のヒューマンドラマ。同町出身の原みさほさんが日本映画学校(現日本映画大学)在学時に書いたシナリオが原作。春香は、家の物置にあるピアノを弾くことで自分を解放する内気な性格だったが、震災による風評被害や、浪江町の人々や家族、同級生との交流を通し成長していく。映画は2014~15年、福島市のほか、東京や大阪、神奈川などで上映された。
◇
【浪江から住民避難】 東京電力福島第1原発の北10キロ前後に位置する浪江町は2011年、東日本大震災による同原発の事故で、全町避難した。住民の多くは桑折町のほか、福島市や二本松市などに身を寄せた。桑折町は、同年4月に応急仮設住宅を設置し、浪江町の人々を受け入れ、映画撮影時の13年8月末時点では205世帯、356人が生活していた。15年5月に復興公営住宅「桑折駅前団地」が完成した。桑折町全体では今年1月現在、浪江町の人々139人が避難生活を続けている。
- 【映画・男はつらいよ 柴又より愛をこめて】故郷へ愛こめた贈り物
- 【真船豊】演劇「鼬」、音楽劇「鼬」 激しさの内側に「深い愛」が
- 【映画・秋桜】本宮市、大玉村 「まかれた種」最後に大きな花咲く
- 【手塚治虫】「スリル博士」 現実シンクロ、神様の旅
- 【映画・恋愛奇譚集】天栄村 かけがえのない時間、誰もが村に恋を
- 【吉野せい】「洟をたらした神」 古里の風景、再び出会う
- 【丹治千恵】随筆集「紅い糸」 牧水の横顔「寂しい人」
- 【映画・裸の太陽】郡山市、白河市ほか 小さな駅、青春そのもの
- 【若山牧水】歌集『朝の歌』所載「残雪行」 今も鮮やかに春の息吹
- 【映画・フラガール(下)】いわき市、古殿町 地元一体で名シーン