「Fukushima50」スペシャルインタビュー 記者役・ダンカンさん

 
震災当時を振り返り、福島への思いを述べるダンカンさん=東京都千代田区

 全国公開中の映画「Fukushima50(フクシマフィフティ)」は東京電力福島第1原発事故直後の現場で対応に当たった作業員らを描いているが、映画のクライマックスには福島民友の記者も登場する。この役を熱演したダンカンさんに見どころや撮影秘話を聞いた。(聞き手・編集局次長 佐藤掌)

 ―福島民友の記者役をお引き受けいただき、ありがとうございます。演じてみていかがでしたか。

 「福島の方々の気持ちを代弁するようなせりふがありましたから、緊張しましたね。私なんて『ダンカンばかやろう』(師匠ビートたけしさんの言葉とされる)で知られているぐらいですから。本当に私が演じていいのかとも思いました。それでも、大変な思いをしている方々のためにも精いっぱい演じました」

 ―見事な福島弁でした。

 「方言指導の方に付きっきりで指導してもらいましたが、今思うと少しデフォルメ(誇張)した部分があったかもしれませんね。地元の方々からは『そんなになまってないよ』とお叱りを受けるかもしれません。でも、お芝居でのことですし、その方が全国の人たちも分かりやすいかなと思ったので、ご理解していただけるとうれしいです」

 ―どんな撮影現場でしたか。

 「ピーンと張り詰めた緊張感がありました。そこは他の現場とは全く違いましたね。普通の現場なら、業界ならではの軽口を言い合えるような雰囲気がありますが、この映画は全くなかったです。そういうピリピリした緊張感は、画面からも伝わってくるのではないかと思います」

 ―ダンカンさんが出演するシーンの相手役は東電幹部役を演じる段田安則さんでした。どんな雰囲気でしたか。

 「私も段田さんも大の阪神ファンですから、心でつながっています。確か共演するのは初めてだったと思いますが、阪神ファンなのはお互いに知っていました。会った瞬間に力強くうなずいて撮影に入り、いいシーンになったと思います」

 ―作品を見た感想は。

 「映画ですから当然フィクションなのですが、心臓をギュッとつかまれているような不思議な気持ちになりました。自分の震災当時のことも思い出しましたね。私もボランティアで被災地をいくつか回り、いわき市にも行かせていただきました。避難所の体育館やお年寄りがいる施設で炊き出しをしましたが、意外に皆さん元気でたくましかったので、とても驚いたことを覚えています。逆に私たちの方が元気をもらえましたね」

 ―俳優のお仕事ではどんなことを心掛けているのでしょう。

 「私は元々が俳優ではないので細かいことは分からないですが、演技では『余計なことはしない』ということですね。それは北野武監督からの教えです。例えば歩くシーンの場合、ポケットに手を突っ込んだり、たばこを吸ったり、髪の毛に触ったりと、どうしても必要以上のことをしてしまいがちです。でも、北野監督から言わせると、それは(演技が)『下手だから逃げてるだけだよ』ということらしい。歩くシーンなら『何もせずに歩くだけでいい。しかしカメラの前で何もしないのはつらくなってくる。それに耐えられるかどうかだよ』とね。その言葉がずっと残っています」

 ―なるほど。重い言葉ですね。ところで、福島にはどんな印象がありますか。

 「謙虚な方が多く、立派だなと思います。いわき市のスパリゾートハワイアンズには仕事でもプライベートでもよく行くのですが、番組のロケでフラダンスやファイヤーダンスを習ったことがありました。教えてもらうのだから向こうが先生なのに、ものすごく腰が低い。『ああ、いい人たちだなー』と思いましたね」

 ―県民へのメッセージをお願いします。

 「大変な経験をされた皆さんの立ち居振る舞いや生きざまが、これからの日本人の見本になっていくのではないでしょうか。決してくじけずに胸を張って前に進んでほしいと思います」

 だんかん 1959年、埼玉県毛呂山(もろやま)町生まれ。落語家を目指し立川談志さんに弟子入り。「立川談かん」として活動した後、たけし軍団入り。お笑いタレントのほか、俳優、放送作家、脚本家と多才。現在は株式会社TAP(タップ、旧オフィス北野)の専務。俳優としては北野武監督作品の常連で、95年の映画「みんな~やってるか!」で主演。98年の「生きない」では脚本と主演。2005年の「七人の弔」では監督、脚本、主演を務めた。