【平成2年】スパリゾートハワイアンズ 斬新すぎる改名...湧き出る発想

国内初のテーマパークとしてオープンし、現在でも全国から多くのファンが訪れる、いわき市のスパリゾートハワイアンズ。「常磐ハワイアンセンター」から名称を変更したのは、1990(平成2)年3月21日だった。温泉を強みにした施設に生まれ変わったが、当時としては斬新すぎる名称に施設を運営する常磐興産の幹部社員たちも戸惑いを隠せなかったという。
◆『日本のハワイ』から脱却
「改名した日の朝、タクシーで行き先を告げることも恥ずかしかった」。同センターオープン当初から社員として勤めている顧問の坂本征夫さん(73)は、名称変更当日の朝のことを今でも覚えている。
社員旅行などが盛んだった昭和から、平成に入るとターゲットは家族やグループ客に移行した。「小さな単位の団体にも魅力的な商品を」。業界を取り巻く環境の変化に対応しようと連日、会議を重ねた幹部たちは同センターの状況を「ハワイに固執するあまり、新商品を出せない」と分析、「日本のハワイ」からの脱却を決めた。
改名案は100通りほど提案されたという。その中に、温泉の楽園を表現した「スパリゾートハワイ」があった。会議の中で同案に決定したが、平川善司総支配人(当時、故人)が「これからハワイアンセンターはもっと広がる。複数形がいい」との思いを込め「ハワイアンズ」とした。
「まるでプロ野球チームの名前だな」。当初は幹部の中からも冷やかすような声が上がった。しかし、その後のハワイアンズは、豊富に湧き出る温泉を活用した業界を驚かすような新商品を次々と発表。右肩上がりで業績を伸ばしていった。2006(平成18)年には同施設の代名詞ともいえる「フラガール」をモチーフにした同名映画がヒット。開館時から続くショーも、集客に大きく貢献した。
◆『一山一家』の精神
しかし、新施設「モノリスタワー」のオープンを控えていた11(平成23)年、東日本大震災が発生。同年4月11日の余震で施設は大きな被害を受けた。
1960年代に炭鉱を襲ったエネルギー革命以来の危機を迎えたが「炭鉱時代から受け継ぐ『一山一家』の精神で乗り越えた」と坂本さん。常に死と隣り合わせの鉱山労働者の時代から、脈々と受け継がれてきた精神が施設の復活につながった。
フラガールたちは全国で福島の元気を発信する全国キャラバンに出発。施設は12(平成24)年に全面再開、同タワーもオープンした。モノリスタワーに込められた意味は「進化の塔」。昭和の激動と平成の災害を乗り越えたハワイアンズ。変わらない精神を胸に、新時代でも進化を続ける。
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スパリゾートハワイアンズ 炭鉱業からの転換を図る常磐興産が1966(昭和41)年、「常磐ハワイアンセンター」としてオープン。国内初の屋内の流れるプールを設置するなど人気を集めた。イメージアップのため90年に「スパリゾートハワイアンズ」に名称変更。震災による営業休止を経て、2012年に全面再オープンした。
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【平成2年の出来事】
3月・常磐ハワイアンセンターがスパリゾートハワイアンズに名称変更
4月・暴力団根絶県民会議が発足
7月・ふくしま国体の開催内定
10月・磐越道郡山ジャンクション―磐梯熱海インターチェンジ間が開通
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