【平成5年】「福島空港」開港 待望の空の玄関口...にぎわい復活諦めず

本県待望の空の玄関口として1993(平成5)年3月20日に誕生した福島空港。航空会社の撤退と東日本大震災が逆風となり、かつてのにぎわいは失われた。「空港の復興は諦めない」。飯塚俊二さん(60)=同空港ビル副社長=は閑散とした滑走路を見つめながら、熱気に包まれた当時を思い返す。
東北6県で唯一、空港を持たなかった本県にとって、念願の開港だった。航空機を一目見ようと、展望台には人だかりができた。操縦士が「こんな空港は初めて」というほどの熱狂ぶり。「盛り上がりは予想以上だった」。ピークの99(平成11)年度には、利用者数は約75万7000人に達した。
だが、2009(平成21)年の日本航空(JAL)撤退で沖縄便を含む空港機能の半分を喪失。飯塚さんは後を託される形で県観光交流局次長に就任した。搭乗率低下が目立ち「空港は本当に必要だったのか」という声も聞いたが、再び存在感を発揮したのが東日本大震災だった。陸路が絶たれた中、被害を免れた空港に全国から支援物資が集まり、防災拠点として機能。「やはり空港は必要だ」と実感した。
定期便は撤退が相次ぎ、現在は大阪、札幌両便だけだが、4月から台湾との定期チャーター便が運航を開始するなど明るい兆しも見え始めた。「この先10年でどう空港の利用価値を高めていくかが重要。これが自分の仕事」。福島空港の新時代に向けて、飯塚さんは前を向く。
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福島空港 1993(平成5)年3月開港。最大で国内線7路線、国際線2路線が就航したが、2009(平成21)年の日本航空撤退、11(平成23)年の東日本大震災が逆風となり、定期路線は国内線2路線に縮小している。
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【平成5年の出来事】
3月・福島空港が開港
4月・全国初のコンピューター単科大学・会津大が開学
・全日制で全国初の単位制高校・いわき光洋高が開校
10月・水稲の平均作況指数が64(著しい不良)に。異常気象で戦後最悪の冷害に
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