【平成7年】ふくしま国体 汗と涙凝縮...総合V!福島県スポーツ界発展

「4140.75点には国体に関わった全ての人の血と汗と涙が凝縮されている」。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件など大きな災害、事件が相次いだ1995(平成7)年に「友よ ほんとうの空に とべ!」のスローガンの下、本県を舞台に開催された第50回国民体育大会「ふくしま国体」。当時、県が設置した県競技力向上対策本部で強化対策班長を務めた県体協副会長の片平俊夫さん(74)は国体に懸けた思いを振り返る。
ふくしま国体は冬季・夏季・秋季の全ての大会を本県で開催する史上6度目の完全国体。本県選手団は史上最高の4140.75点で男女総合優勝(天皇杯)を飾った。女子総合優勝(皇后杯)の1627.25点も史上2番目の高得点だった。
当時の本県は87年の京都国体から石川国体までの4年間、総合成績は40位台に低迷していた。本県開催決定から県は、各競技の力を伸ばそうと競技力向上と有力選手の招集に奔走した。
冬季国体で総合6位、夏季国体で東京に次いで総合2位に付けると、いよいよ秋季大会が10月14日に開幕。県勢は開会式当日から自転車のロードレース少年男子でワンツーフィニッシュを飾るなど快進撃を続け、19競技で総合優勝を果たした。「解団式で喜び合う選手や役員を競技場の隅で見ながら、一人で喜びをかみしめていた」。幾多の苦労も吹き飛ぶ光景だった。
ふくしま国体のために本県に迎えられた選手の多くは指導者として本県に残り、その後の本県スポーツ界の発展に力を注ぐ。「国体で活躍してくれた選手の子弟たちが、東京五輪を目指す選手として成長している」。片平さんらの熱い思いは、今も受け継がれている。
陸上男子三段跳びでソウル、バルセロナ両五輪に出場した山下訓史さん(56)=橘高教=もその一人。ふくしま国体後に目指した96年アテネ五輪への出場はかなわず「自分の競技生活をなかなか諦めきられなかった」と苦笑いするが、ふくしま国体から間もなく四半世紀を迎える今、「ようやく腰を据えて指導できるようになった」という。
その指導は着実に実を結んでいる。長男航平さん(24)は同じ三段跳びでリオデジャネイロ五輪に出場、短距離が専門の弟潤さん(21)とともに東京五輪を目指す本県期待の選手だ。低迷していた本県スポーツ界に栄光をもたらしたふくしま国体から続く系譜は、新たな世代に脈々と受け継がれている。
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ふくしま国体 国体史上6番目の完全国体として県内10市16町12村(当時)で開催された第50回国民体育大会。冬季大会は212.5点(天皇杯6位・皇后杯6位)、夏季大会は571.25点(天皇杯1位・皇后杯2位)、秋季大会は3357点(天皇杯1位・皇后杯1位)の合計4140.75点を獲得した。マスコットはキビタン。
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【平成7年の出来事】
1月・ふくしま国体冬季大会(スケート)
2月・ふくしま国体冬季大会(スキー)
7月・須賀川市の女祈とう師宅で6人の変死体が見つかる
8月・磐越道いわき―郡山間が開通
9月・ふくしま国体夏季大会
10月・ふくしま国体秋季大会
・本県初の民間FM「ふくしまFM」が開局
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