【平成8年】坪井栄孝さん日医会長就任 『医道士魂』...がん治療に情熱

医療者にも士魂が必要であり、それはすなわち人類愛だ―。「医道士魂」の信念でがん医療に情熱を注ぎ、故郷・郡山市に国内初となるがん専門の民間病院を開設した故坪井栄孝さん(1929~2016年)。日本医師会(日医)の会長に就任したのが1996(平成8)年だった。4年後の2000年には日本人として2人目となる世界医師会長に就くなど活躍の場を広げ、日本医療界を大きく前進させた。
「格差なくす」
郡山市南部の高台に位置する坪井病院は今年で開院42周年。入り口に「地域がん診療連携拠点病院」の看板を掲げ、がんの早期発見、治療、ホスピスと高水準のがん医療を提供し続けている。病院の開設は、国立がんセンターの臨床医として働く中で「郡山にも同様の医療を提供する病院をつくりたい」と考え抜いた末の悲願だった。後に坪井さんは本紙連載「人生春夏秋冬」で「がんそのものの認知度が低かった当時にしてみれば無謀と思われた事業だったが、都会と地方の間に立ちはだかる、がん治療のレベルの格差をなくすことが自分の使命と心に決めていた」と振り返っている。
病院経営の一方、坪井さんにとって「平成」は、日医トップとして医療をより良くするために士魂を尽くした時代だった。昭和の終わりに日医常任理事に就き、副会長を経て1996年から会長を4期8年務めた。長男で坪井病院理事長の永保さん(59)は「臨床医をすればするほど、医療政策と現場のギャップを感じる。現場を変えるには霞が関に赴かなければいけない。信念を貫くために頂点(会長)を極めた」と父の思いを代弁する。
小泉内閣との闘い
会長として成し遂げた仕事は数多い。97年に医療政策をつくるシンクタンク「日医総研」を創設、厚生省(現厚生労働省)と対峙(たいじ)して医療制度改革を主導した。2000年の世界医師会長就任演説では、世界中の医師に向けて自らの医道を説いた。一方で、01年に誕生した小泉純一郎内閣では、官邸主導の「聖域なき構造改革」で医療費抑制や規制改革を断行しようとする動きの中、苦戦を強いられた。
国内外で活躍する姿は地元医療界の進展や後進育成にもつながった。坪井さんと同じ時期に日医役員を務め、活躍をそばで見続けてきた星北斗さん(54)=星総合病院理事長=は「自分の損得で物事を考えるということを全くしない人だった。信念を通すための(官僚との)けんかの仕方も教わった」と回顧する。
86歳で生涯を閉じてから丸3年がたつ。永保さんが使用している病院の居室は坪井さんが使っていた当時のままだ。壁には医道士魂の書が掛けられている。がんと医療に向き合い続ける中で貫き通した医道士魂の精神は地域に根付き、今後も受け継がれていく。
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つぼい・えいたか 1929(昭和4)年、郡山市生まれ。旧制安積中(現安積高)―日本医大卒。国立がんセンターの研究者時代、世界初の独自の医療器具を使った肺がん早期診断法「坪井式末梢(まっしょう)病巣擦過法」を開発し、後に世界各国で活用される。2001年に郡山市名誉市民となり、同年に勲一等旭日大綬章を受章。10年3~4月に福島民友新聞で「人生春夏秋冬」を連載。
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【平成8年の出来事】
3月・常磐じん肺訴訟が全面和解
4月・日本医師会長に坪井栄孝氏
8月・県内で「O157」の感染者を初確認
10月・県内の磐越道インターチェンジが全て利用開始
11月・渡部恒三氏が衆院副議長に就任
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