【平成10年】全国高校女子駅伝初V 『熱女』田村が爆走!日本一に輝く

広島市で今年1月に開かれた第24回全国都道府県対抗男子駅伝で初優勝を飾り、「駅伝王国ふくしま」の名を全国にとどろかせた本県チーム。男子初の日本一に先立ち、1998(平成10)年に「女子日本一」の座に就いたのが田村高だ。
京都市を舞台に行われた全国高校駅伝。5区間21.0975キロで争われる女子は、第10回の節目の大会だった。「走りに熱い人の塊だった」。アンカーとして初優勝のゴールテープを切った菅野(現姓高橋)勝子さん(38)は、県勢初の快挙の要因に、関わった全ての人の「熱」を挙げた。
粘りのたすき
レースは1区に注目が集まった。優勝候補の諫早(長崎)が「超高校級」と評された藤永佳子選手を起用していた。藤永選手は区間賞を獲得したが、田村は渡辺芳子選手が19秒差の3位と粘ったことで流れができた。2区でトップに躍り出ると、3区でも首位を維持。4区で2位に後退したものの、先頭とは11秒差。アンカーにたすきが渡った時点で、優勝は射程圏内だった。
「最初の1キロは抑えるように」。下重庄三監督(現札幌国際大監督)からの指示は一つだけだった。3千メートルを得意とする菅野さんにとって、5キロを走る最終5区での終盤のスタミナ切れだけが懸念材料。1キロを指示通りスローペースで入ると、沿道に同級生を見つけたのを合図に、一気にギアを上げる。「ここまで頑張ってきた。あとは爆走するだけ」。残り3.4キロ付近でトップに追い付くと並走せずに抜き去り、そのまま頂点へと駆け抜けた。
『人の倍』走った
菅野さんの走りは文字通り「爆走」だった。15分31秒は当時の区間新記録。当時の自身の5000メートルのベストタイムだった16分9秒を大きく上回り、20回大会で青森山田高の留学生選手に抜かれるまで、10年間破られなかった。
予選会での記録はトップチームと1分以上の差があったが、レース前は「自信しかなかった」(菅野さん)。背景にあったのは当時の練習で「60分コース」と呼ばれる集団走。高台にある田村高を出発し、アップダウンがきつい坂ばかりの道を巡って、1時間で戻る練習だが「学校に上がる最後の坂は、みんなが加速して『ダッシュ状態』だった。必然的に勝負になっていた」。設定を上回り、52~54分で戻って来る日もあったという。メンバーたちの熱は「女同士の競争心」として、日ごろの練習に現れていた。「人の倍走ること。見えない努力は結果につながる」と菅野さん。その信念を都大路で体現した。
◇ ◇ ◇
女子第10回全国高校駅伝競走大会 記念大会として地区代表を加えた58校が出場。6年連続6度目の出場となった田村は1時間7分56秒で男女を通じて初優勝を成し遂げた。メンバーは1区・渡辺芳子(3年)、2区・鴫原美由紀(同)、3区・橘内裕美(2年)、4区・阿部美加子(同)、5区・菅野勝子(3年)の各選手。
◇ ◇ ◇
【平成10年の出来事】
8月・県南中心に集中豪雨が発生し11人が犠牲に
10月・ビッグパレットふくしまオープン
11月・県と大熊、双葉両町がプルサーマル計画を受け入れ
12月・福島空港の2500メートル滑走路が使用開始
・全国高校駅伝・女子で田村が初優勝
〔国内の出来事〕▼モーニング娘。デビュー▼長野冬季五輪のノルディックスキー・ジャンプ団体で日本が金メダル▼松坂大輔投手を擁する横浜高が甲子園で春夏連覇
〔流行語〕「冷めたピザ」「だっちゅーの」
〔ヒット曲〕SMAP『夜空ノムコウ』キロロ『長い間』
- 【平成31年】都道府県駅伝「男子初V」 平成最後の大会で東北勢初優勝
- 【平成30年】両陛下迎え「全国植樹祭」 緑の少年団に森林への思い託す
- 【平成29年】あづま球場が五輪会場 野球、ソフトボール競技の一部試合
- 【平成28年】「避難指示」続々と解除 避難区域は約3分の2にまで縮小
- 【平成27年】「常磐道」待望の全線開通 東日本ダブルネットワーク完成
- 【平成26年】中間貯蔵施設受け入れ 最終処分場化への懸念で反対根強く
- 【平成25年】会津舞台の「八重の桜」 大河ドラマ・綾瀬はるかさん主演
- 【平成24年】「コメ全量全袋検査」開始 県内生産者ら安全性データ確認
- 【平成23年】東日本大震災と原発事故 若い力でやり遂げた「高校総文」
- 【平成22年】猪苗代湖、水質日本一奪還へ 輝く湖取り戻すボランティア