【平成12年】マラソン・藤田敦史さん 五輪覇者破り雪辱の日本最高記録

 
福岡国際マラソンで2時間6分51秒の日本最高記録で優勝し、指を突き立てゴールする藤田さん=2000年12月3日、福岡市・平和台陸上競技場

 最後の坂を上りきり、独走状態で陸上競技場に入ると、すさまじい観客の声援が聞こえてきた。

 21世紀を目前に控えた2000(平成12)年12月3日、福岡市で行われた福岡国際マラソン。「日本最高が出るかもしれないと期待する大勢の人が競技場に集まっていた。自分も、競技場に入った瞬間に確信した」。白河市(旧東村)出身で、清陵情報高から駒大、富士通に進んだ藤田敦史さん(42)は、2時間6分51秒という当時の日本最高記録で優勝したその瞬間を振り返る。

 本来なら同年3月のびわ湖毎日マラソンにシドニー五輪代表を懸けて挑戦する予定だったが、けがで断念せざるを得なかった。「同じ年のうちに、悔しさを晴らしたかった」。出場がかなわなかったシドニー五輪で金メダルを獲得したゲザハン・アベラ(エチオピア)に競り勝って優勝、最高の「リベンジ」を果たした。

 地元選手の快挙に、県民の盛り上がりは最高潮に達した。「藤田(清陵情報卒)世界へ快走」「藤田、ニューヒーロー」。翌日の福島民友新聞には、まさに"新世紀"の到来を告げる熱気あふれる見出しが躍った。

 その後は世界記録を狙って練習量を増やした。しかしそれが、けがを増やす結果を招いた。「本末転倒だった。けがをして休んで、焦って練習してまたけがをしてという悪循環に陥った」。結局、五輪で金メダルを取るという目標は果たせなかった。

 「でも、五輪に行けなかったことに対して後悔はない。自分が思う練習をやりきった結果なので」と藤田さん。だが、こう付け加えた。「悔しいですけどね」

 今年1月2、3の両日行われた第95回東京箱根間往復大学駅伝。出場校には本県出身の監督も多い。総合4位に輝いた駒大の選手たちを、藤田さんもコーチとして見守った。「昔から福島には熱心な指導者が多く、学校の垣根を越えて教えてくれた。われわれが指導者として頑張っているのも、福島の先生たちの姿が脳裏に焼き付いているから」

 かつて藤田さんがアンカーも務めた全国都道府県対抗男子駅伝競走大会で今年、本県チームが東北勢初の優勝を飾った。県民を沸かせた名選手が、今度は指導者となって次の名選手を育てる。走りで全国を驚かせる本県の名選手の歴史が、今も続いている。

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 ふじた・あつし 1976(昭和51)年、白河市生まれ。清陵情報高、駒大卒。初マラソンとなった1999(平成11)年のびわこ毎日マラソンでは日本学生記録を20年ぶりに更新する2時間10分7秒をマーク。同年に富士通に入社し、99、2001年の世界陸上に出場、99年セビリア大会では6位入賞を果たす。駒大時代、箱根駅伝には4年連続で出場した。現在は駒大陸上競技部コーチ。

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 【平成12年の出来事】
7月・アクアマリンふくしまオープン
9月・皇太子ご夫妻をお招きし猪苗代町で全国育樹祭
11月・オーストリアのケーブルカー火災で猪苗代中生ら6人犠牲に
12月・藤田敦史選手が男子マラソン日本最高記録

 〔国内〕▼小渕恵三首相が死去▼シドニー五輪女子マラソンで高橋尚子選手が金メダル▼携帯電話「iモード」がヒット
 〔流行語〕「おっはー」「IT革命」
 ヒット曲〕サザンオールスターズ『TSUNAMI』モーニング娘。『LOVEマシーン』