【平成17年】平成の大合併 垣根意識超えて6市町誕生、市町村統合進む

 
くす玉を割って伊達市のスタートを祝う旧5町の町長ら=2006年1月

 平成が始まった1989年には90市町村だった本県は、「平成の大合併」で市町村統合が進んだ結果、新時代「令和」を59市町村で迎える。中でも2005(平成17)年には6市町が誕生した。

 このうち田村市は旧市を核とせず、滝根、大越、常葉、船引の4町と都路村が合併、平成の大合併では本県初の新市となった。「小さな自治体では今後持ちこたえられないと思った」。現市議会議長で、合併当時は製造業に携わっていた大和田博さん(64)は振り返る。

 当時、民間企業は競って経営の効率化を図っていた。「民間も行政も似たような状況。旧町村の行政水準にもばらつきがあった」と大和田さん。旧町村単位に行政局を置く「クラスター方式」を採用し、本庁と連携しながら、地域それぞれの特色を生かす考えだった。

 合併から14年。人的交流が進み、各種団体のトップに人口の多い船引地区以外からも就くようになるなど、「垣根意識」は少しずつ薄まっている。大和田さんは「大きな自治体になることで、町村単独ではできなかった事業ができるようになった。今後は人口減の中、広大な市の面積を維持するために知恵を出したい」と前を見据える。

 翌06年には、田村市と同じように旧市を中核としない伊達市が誕生。伊達、梁川、保原、霊山、月舘の5町で発足するまでには「紆余(うよ)曲折」の道をたどった。検討当初の伊達郡は、5町に加え桑折、国見、川俣、飯野の計9町。ここから川俣、飯野が離脱、7町による合併協議が始まった。

 財政面の特例措置などを受けられる合併特例法の期限は05年3月。04年7月には新市名称が「伊達市」に決まったが、直後の8月に桑折が離脱。国見は11月の町長選で離脱を訴え当選した新町長が離脱を表明した。

 「合併は難しい。でも、やらないわけにはいかなかった」。旧保原町長、初代伊達市長を務めた仁志田昇司さん(74)は当時を思い返す。少子高齢化に伴い、市となって財政、組織を強化する必要があった。協議にとどまった5町は特例法期限の05年3月、知事に合併を申請した。

 「難産」の末の合併だっただけに、旧5町間にいまだ「壁」があることは否めない。「完全に一つになるには(合併から)30~50年はかかる」と仁志田さん。それでも「町単位ではできなかっただろう財政の立て直しができた。合併は成功した」と胸を張った。

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 平成の大合併 地方分権改革に伴う自治体の体制強化や地域活性化を目的として国が推進した市町村合併。県内では2004(平成16)年、北会津村の会津若松市への編入合併をトップに始まり、08年7月に福島市に飯野町が編入するまで、90市町村から31町村減った。現在は59市町村。

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 【平成17年の出来事】
3月・滝根、大越、都路、常葉、船引の5町村が合併し田村市が誕生
4月・新・須賀川市誕生
10月・会津美里町誕生
11月・新・会津若松市、新・白河市誕生
12月・新・二本松市誕生

 〔国内〕▼尼崎のJR西日本脱線事故で107人が死亡▼郵政民営化法が成立▼耐震強度データ偽装が問題に
 〔流行語】
「小泉劇場」「クールビズ」「刺客」「萌え~」
 〔ヒット曲】
修二と彰『青春アミーゴ』松平健『マツケンサンバ2』