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  【 「伊能忠敬測量隊」東北を行くTOP 】
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 小野小町の生涯に興味


 旧暦7月13日(西暦8月10日)、伊能測量隊は羽州街道を北上し、金山村(現金山町)、及位村(現真室川市)の問屋高橋作右衛門宅に泊まり、翌日、及位村を出立し、朴木沢村(同)まで来ると、道は登りとなり、雄勝峠越えの難所となった。峠の頂上は最上郡新庄領(現山形県)と雄勝郡久保田領(現秋田県)の藩境である。

 忠敬は日記に「この峠は虻(あぶ)が多くて通行に難儀すると聞いていたが、前日の雨と、朝のうちに通ったせいか、虻はそれほどでなかった」と記している。峠の藩境には下院内駅(現秋田県湯沢市)の役人三、四人が人足を連れて出迎え、道案内をした。長く険しい峠道の測量に難儀した一行は峠を下りた。

 下院内村入り口に久保田藩(秋田藩)の番所があり、村中の一里塚は久保田藩諸街道の基点で、下院内より三里、久保田城下まで二十八里の里程である。湯沢市雄勝は国道13号と108号線が交差しているが、当時から交通の要衝だったことが分かる。

 旧暦7月15日(西暦8月12日)、下院内駅本陣、問屋斉藤忠五郎宅を止宿として天体観測をした。翌日、下院内駅を出立後、一行は雄物川上流の橋から東鳥海山を、更に進んで南駒ケ岳の方位を測った。南駒ケ岳は第一次、第二次測量時も奥州街道から方位を測量し、第三次測量でも羽州街道から測定して関係位置を再確認したのである。

 小野村(現湯沢市)の入り口、左一町余の畑の中に小野小町の墓がある。毎春、芍薬(しゃくやく)九十九本を生ずると里人から聞いた忠敬は「信用するに足らず」としながらも、「出羽郡の司として小野の郷に赴任した小野良真が、町田治郎左衛門の娘を妻とし、出生したのが小野小町である由、父の由実の古跡もある」と聞き、絶世の美人である小野小町の生涯に興味を抱き、出生話まで書いている。

 この日は湯沢村(現湯沢市)の本陣松井甚太郎宅を止宿とした。翌日、小雨の中、湯沢村を出立した一行は舟で皆瀬川を渡り、雄勝郡から平鹿郡へと入り、梨木羽場村(現十文字町)ほかの村々を経て、久保田藩出城がある横手町(現横手市)の本陣松木吉右衛門宅を止宿とした。

 松木家は間口十二間、奥行き三十間の堂々たる構えの屋敷である。夜は少し晴れたので雲間に見える星を天体観測した。ここに居住している久保田藩大番役で七十歳余りの老人、菊地味右衛門から、暦学について質問された。忠敬は熱心に地球の運行について講義をした。翌日、横手藩中屋敷の長い町を測りながら仙北郡に入った。

 金沢本町村(現横手市)に八幡太郎建立の八幡宮があり、その背後に安倍貞任の柵跡があった。一帯は(後三年の役の)古戦場である。大曲村(現大仙市)を経て花舘村(同)に着き、勘左衛門宅を止宿とし、南部巌鷲山(岩手山)の方位を聞いたところ、丑九分(東北東)とのことであった。その夜に天体観測をした。

 旧暦7月19日(8月16日)は玉川を舟で渡り、平たんな道を雄物川に近づいたり離れたりしながら、境村(現大仙市)の本陣孫右衛門を止宿とし、翌日、秋田郡に入った。午後早めに佐竹氏の久保田城下に到着し、馬喰町(現秋田市)の善右衛門宅を止宿とした。

 (伊能忠敬研究会東北支部長)


「伊能忠敬測量隊」東北を行く

松宮 輝明

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久保田藩の出城、藩主戸村十太夫侯の横手城

2011年8月17日付
福島民友新聞に掲載
 

 

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