【岩城街道・全2回(1)】 坂の町割り江戸のまま

 
久保坂の中腹から望む阿武隈山系。坂の両脇には商店や民家が立ち並ぶ町割りは江戸期から変わらない

 江戸時代、阿波国(現在の徳島県)で生産された「斎田(さいた)塩」はいわき市中之作港で荷揚げされ、中通りや会津に運ばれた。浜と内陸を結ぶ道が幾筋もある中、同市の平城下から小野町、田村市、三春町を通り郡山市などに至る岩城街道(磐城街道)を選び旅に出る。

 大勢の初詣客でにぎわった飯野八幡宮が出発点。歴代の磐城平藩主が信仰した、いわき有数の社に参拝し、昔の旅人になった気分で旅の安全を祈願した。

 大鳥居前から八幡小路を西に進むと、同市平久保町で急勾配の下り坂に差し掛かった。坂の頂上から冬晴れの先に望む阿武隈山系の山々は壮麗で、いわきの原風景の一つと思えた。同市平久保町は磐城平藩時代に町人町と足軽町が形成された。平城下から真っすぐに同市好間町下好間まで延びる坂道は「久保坂」と呼ばれ、住民に親しまれてきた。坂の両脇に商店や民家が立ち並ぶ町割り(土地の区画整備)は江戸期のままだ。

 町や坂の歴史が知りたくなり、坂の中腹でみそやしょうゆなどを製造・販売する「山田屋醸造」を訪ねた。同店の青木貴司さん(42)は「20年ほど前に区画整理事業が地元住民の反対で中止になり、そのまま町並みが残った」と話してくれた。

 店は明治20年代の創業だが、江戸期から明治中期にかけては農業の傍ら、まんじゅうを製造・販売していたという。

 江戸期は久保坂付近に、乗ってきた馬をつなぎ留める「馬留め」があり、武士はここで下馬し、城にはせ参じた。「久保坂から見える水石山は本当にきれいなんだよ」。青木さんの言葉から、故郷への愛情が伝わってきた。

 坂を下ると、同市好間町に入り、やがて道は国道49号に合流する。同市好間町大利で国道49号から分かれ、合戸宿へと続く峠へと差し掛かる。曲がりくねった山道を進むと、小さな石碑を見つけた。1953(昭和28)年に道路を改修した人物を顕彰する石碑で、風化で読みにくいが、俳句が刻まれていた。

 「汗をふく 峠のお茶の 舌つつみ」

 徒歩で峠を越え、飲んだ茶の味は格別だったのかもしれない。

 いわき市三和町合戸に着く。磐城平藩時代に物産を運送する人と霊場の「閼伽井嶽(あかいだけ)薬師」に参拝する信者が往来し栄えた宿場だ。

 国道49号と旧道が付いたり離れたりを繰り返す中、さらに西へと向かった。宿場・集落は同市三和町の渡戸、中寺、下市萱、上市萱に続く。街道両脇には家が連なり、古びた石像などが点在する。阿武隈山系を網の目のように走る山道や間道が村々をつないでいた往時に思いをはせた。

 上市萱宿を過ぎ、塩見山(721メートル)の峠に差し掛かった。一部は舗装されていない砂利道があり、難所だ。人や車と擦れ違うことなく、心細げに峠を越えると、上三坂宿が見えてきた。冷たい風を受けながら宿駅に到着した。

 道の真ん中を用水路が走り、かつての旅人が手足を洗い、馬が水を飲んでいた面影を感じた。夕刻に峠を越えて宿に着いた旅人は両脇にある宿泊施設の「旅籠(はたご)」や商店の明かりを見て、ひと安心したに違いない。

 風土について聞こうと、国道49号沿いの店舗で柏(かしわ)餅を販売する永山シゲヨさん(65)=同市三和町下三坂=方に伺った。突然の訪問だったが、豆餅などをごちそうしてくれた。「今度来た時は私の語りで民話の『笠地蔵』を聞かせてあげるよ」。人との出会いが旅の最大の魅力である。

 【 記者の「寄り道」スポット 】

 いわき市平字八幡小路にある飯野八幡宮写真=はいわき有数の名大社。1602(慶長7)年、磐城平藩主の鳥居忠政が平城築城の際に現在地に移設した。本殿などは国の重要文化財に指定されている。9月14、15両日の例祭で行われる流鏑馬(やぶさめ)は県指定重要無形民俗文化財。馬上から的を射る姿は地域の初秋の風物詩として親しまれている。

 いわき市平赤井の閼伽井嶽(あかいだけ)薬師常福寺写真=は、奈良末期から平安初期にかけての高僧で「仏都会津」の祖として知られる徳一(とくいつ)が開いた。8月31日、9月1日の夏大祭で行われる「柴燈(さいとう)大護摩供(おおごまく)」は修験道の護摩供養で、山伏に伝わる密教の儀式。山伏姿の僧侶らが護摩壇を囲んでほら貝などを吹きながら儀式を行い、護摩壇に点火する。参拝客は護摩木を投げ入れ、除災招福や交通安全などを祈る。

 国道49号沿いのいわき市三和町中三坂湯ノ向にある「柏の里」直売所は、手作りの柏(かしわ)餅=写真=が人気だ。5個入りで税込み500円。じっくり練ったあんこに自家製のもち米、ヨモギなどを混ぜて仕上げた味は絶品。午前10時に開店し、完売次第終了となる。不定休。問い合わせは柏の里本店(電話0246・85・2004)へ。