【御斎所街道・全3回(3)】 難所続いた古道の名残

 
御斎所街道の、いわき市田人町石住。県道横に旧街道の一部(左側)が残り、街道名の由来となった御斎所山へと向かっている

 御斎所街道の旅は古殿町を過ぎ、いわき市田人町石住に入る。この地域を通る街道の道筋は現在の県道いわき石川線とほぼ同じ。県道をたどりながら、街道の風情を探すことにした。

 石住小近くの道沿いに地蔵堂があり、隣には「道祖神」「馬頭尊」などと刻まれた古びた石碑が並ぶ。地蔵に手を合わせ、山村集落で山仕事などをなりわいとしていた先人の信仰の厚さに思いをはせた。

 川岸に雪が残る鮫川沿いを東に向かう。戸草川との合流点にある同市田人町石住才鉢に着くと、街道名の由来である御斎所山が見えてきた。

 上り坂に差し掛かる。街道最大の難所、御斎所峠を前に気持ちが高ぶるが、道沿いにある「大沢庭石店」の敷地を通る道が気になり、足を止めた。道は県道から敷地内に入り、また県道へとつながっていた。旅の極意は「寄り道」と、店に立ち寄った。

 「敷地内を通る道は昔の街道だよ」。家主の大沢重良さん(90)に教えてもらった。県道の整備で、住居と事務所との間を通っていた街道が役目を終えた。

 事務所に飾られた昭和30年代ごろの写真を見ると、わらぶき屋根だった住居前を東西に街道が走る。「子どものころは鮫川沿いに江戸時代の街道もあったんだ」。大沢さんの話に引き込まれた。

 大沢さんは3代目で、祖父の代の明治20年代から昭和10年代ごろまでは「労場(ろうば)」を営んでいた。労場とは馬車引きと馬の休憩所で、馬車引きには食事を、馬には飼い葉などを提供した。「馬引きが湯本駅で荷物を降ろした帰りに労場で酔っぱらって寝てしまい、馬だけ先に帰ったこともあったよ」。石川郡や東白川郡から炭などの燃料や資材を積んだ馬車が往来し、にぎわった往時の逸話が楽しい。

 尽きない話に後ろ髪を引かれながら、御斎所峠を目指した。現在はトンネルを通って峠を越えるが、かつては山腹の崖に近い斜面を上り下りし、屈曲した狭い道を行き来したようだ。「七曲」「大曲」。一度踏み外すと、約100メートル下の谷底まで転げ落ちるほどの難所に苦慮した人が、畏敬の念を抱き名付けた峠の呼称が今も残る。

 二つ目のトンネルを通過し、街道に入ると、「御斎所洞門跡地」と書かれた石碑が立っていた。道路整備に伴い1986(昭和61)年8月まで、長さ約10メートルの自然の岩をくりぬいて造られた洞門があり、景勝地として親しまれていた。

 県道を進み、いわき市遠野町根岸に着いた。大沢さんから、江戸時代の街道がそのままの形で残っていると聞いていたので、その場所に向かった。

 元旅館の駐車場の西側に立つ道標に「古道」の文字。道標そばの道幅1.8メートルほどの坂道こそが江戸時代の人が往来した街道だった。地元の小沢肇さん(64)は「(根岸までの道筋は)夜には山賊も出たと聞いている」と話してくれた。林に覆われた険しい街道を歩き通した旅人は、ようやく見えた町の明かりに安堵(あんど)しただろう。

 街道は同市の遠野町、渡辺町を通り、常磐藤原町田場坂に。直線の道の両脇に民家や商店が並び、旧家の門構えが見られるなど宿場の名残があった。「今でも近所の人を『質屋』『下宿』などで呼ぶこともあるよ」。豆腐店を営む高木久寿さん(65)の話を聞き、街道にもう一度目を向けると、別の趣を味わえた。

 田場坂を下ると、南の高台にスパリゾートハワイアンズが見えた。いわき湯本温泉の足湯を楽しみに先を急いだ。

御斎所街道

 【 記者の「寄り道」スポット 】

 いわき市田人町の旧街道沿いに立つ御斎所洞門跡地の石碑と案内板=写真。石碑には「御斎所洞門跡地」と刻まれている。案内板には御斎所街道と洞門の歴史、取り壊される前の洞門の姿を撮影した写真が掲載され、往時の御斎所街道の姿を行き交う人々に伝えている。

御斎所街道

 いわき市遠野町上遠野字若宮の「菓子処 芝崎 若宮店」(電話0246・89・4717)は「遠野まんじゅう」(税込み90円)が有名。米粉と山芋を原料に混ぜ込んだまんじゅうはもちもちとした食感が特徴で、愛情込めた昔懐かしい味わい。ユズ風味の「ゆずまんじゅう」やカボチャ本来の味を生かした「パンプキンまんじゅう」なども人気を集める=写真。営業時間は午前7時~午後6時。水曜日定休。

御斎所街道

 いわき市常磐藤原町田場坂の「とうふ工房 分家 奈良屋」(電話0246・44・2927)。手作り豆腐=写真=の専門店で「きぬよせ豆腐」(税込み220円)、「青ばた豆腐」(同270円)、さくら豆腐(同270円)が人気。厚揚げや絹生揚げなど、こだわりの商品が並ぶ。営業時間は午前9時~午後6時。年中無休(年末年始を除く)。

御斎所街道