【洗剤配り厄払い(中)】凧や流し船の風習、時代に伴い変化

 
伊達市梁川町で使われた厄流しの船(上)と船にさおを立て、祝いの言葉を掲げ、厄払いの宴席に飾った(県立博物館所蔵)

 「県北では厄年を迎えた人が台所用洗剤を年の数だけ配る」という風習について、前回はその概要と、行われている地域を調査した。今回はその起源に迫りたい。

 遊んで厄飛ばす

 今では台所用洗剤を配るのが一般的だが「昔は紙風船や凧(たこ)を配った」という情報が多数寄せられた。代表的な投稿を紹介すると、「女の人の厄払いには紙風船(てんまり)を、男の人の厄払いには凧(てんばた)を年の数だけ用意し、近所や親類などに配り、子どもたちが遊ぶことで厄を吹き飛ばしてもらった―と記憶しています」(福島市・むかしびとさん85歳)とある。今も洗剤と一緒に紙風船を配ることもあるが、これは昔の名残だろう。なお、てんまり、てんばたは、県北や宮城県などで使われる方言だ。

 また、かつて伊達市梁川町などには「厄流しの船」という風習もあったという。厄流しの船とは、地域により違いがあるが、厄払いの宴席に船を飾ったり、船を川や海に流したりする風習だ。

 "洗剤以前"について伊達市保原歴史文化資料館に聞くと、「時代の流れで凧を揚げたり船を川に流したりすることができなくなり、それに代わる『厄を落とすもの』として洗剤が選ばれたのでは。県北だけで洗剤を配っているのは、元の風習(凧や船)が行われていた地域が県北だったからなのでは」と推測する。

 県北以外の状況も知ろうと、県立博物館に問い合わせてみた。すると、厄流しの船の風習は相馬など浜通りの一部地域でも行われていたという。しかし、浜通りでは洗剤を配る風習はなく、船の風習と洗剤を配る地域は一致しないことが分かった。「厄流しの船は、飾るだけの地域から実際に流す土地までいろいろあったが、現在洗剤を配っている地域よりも少し広い」と、同博物館の学芸員内山大介さんは話す。

 相馬市のラジオ(欄外参照)リスナーからも「(以前は)近親者と盛大に飲食し、小舟にお札を載せ、海に流す風習でした。最近はその風習も衰え、(厄年の本人はお札に触れることができないので)身近な方にお札を神棚に飾っていただき、飲食するだけですね」という貴重な情報が寄せられた。どの地域でも、時代の変化に伴って厄払いの方法が変わっていったことが分かる。

 三重県、またご縁

 洗剤を配る事例については、遠く離れた三重県でも似たような風習があるという情報を得た。三重県総合博物館に聞くと、同県中部の松阪地域では、厄払いのための宴席に集まった人への返礼品として洗剤を配るという。ただし、配るのは台所用ではなく洗濯用の洗剤で、厄払いだけでなく法事などでも配るそうだ。そのため、購入するのは年の数ではないが、意味合いは本県と同様「厄を落とすという語呂合わせで選ばれているのではないか」という。三重県といえば、以前調査した「炊き込みご飯を『味ご飯』と呼ぶ」に続き、再び本県との意外な共通点が見つかった。新型コロナが収束したら、ぜひ三重県へ検証の旅に行ってみたい。

 しかし、このままでは終われない。次回は、まだまだ奥深い厄払いの世界と、洗剤を配る風習の歴史をたどりたい。(佐藤香)