【洗剤配り厄払い(下)】台所洗剤、普及とともに

 
「厄を飛ばす」という意味で県北では紙風船が古くから配られていた。現代では、熨斗(のし)付きの箱に入れた台所用洗剤を配ることが多い

 「厄年を迎えた人は洗剤を年の数だけ配る」という県北独特の風習を取り上げた今回の「洗剤配り厄払い」編。調べれば調べるほど厄払いの深い世界が広がっていた。

 1970年代から?

 そもそも厄払いとは「神仏に祈るなどして厄難を払い落とすこと」(広辞苑第7版)だ。洗剤を配るのは全国的にも珍しいが、県立博物館に聞くと「厄年の人が物を配るという行為には、厄をみんなで肩代わりする、分散するという意味がある」という。餅やまんじゅう、菓子などを配ったり、まいたりする風習は、県内外の各地で行われている。

 「配る」こと以外にも各地にさまざまな厄払いの習俗がある。例えば、神社に参拝した帰りに、身に着けていたものをわざと落とすという風習だ。落とすものは手拭いやハンカチ、くし、金銭など地域によって異なるが、いずれも物を落とすことで厄が落ちたとみなしている。

 ほかにも「年重ね」「年直し」などと呼ばれ、例えばしめ縄を2本作るなど、正月にすることを2度行うことで、厄年を早送りしてしまうという地域もある。

 南相馬市博物館で聞いた例では「男性42歳、女性33歳の厄年の時に中学校の同窓会を開き、赤い手拭いやタオルを首に掛けるなど、赤いものを身に着けて参加する」という。このような「赤いもの」を身に着ける厄落としは、ほかの地域でも行われ、「赤を用いるのは赤い色に魔よけの力があると信じられている」(歴史春秋社「ふくしまの冠婚葬祭」)からだという。

 本題に戻り、台所用洗剤を配るという現代の風習は、一体いつ始まったのか。読者から寄せられた情報を集約した。

 「1965年生まれですが、子どもの頃からいただいてます」(福島市・キウイ大福さん56歳)、「昭和30、40年代はまだ洗剤での厄払いはなかったように思います」(同市・むかしびとさん85歳)、「食器用洗剤を配るのは、30~40年くらい前からでは?」(同市・ふーちゃんさん64歳)。

 まとめると、約45年前(70年代後半から80年代前半)あたりに始まったと考えてよさそうだ。

 必需品で最適

 日本石鹸(せっけん)洗剤工業会のホームページによると、56(昭和31)年に日本初の台所用粉末合成洗剤が発売され、58年には液体タイプが発売された。その後、60年代は台所用洗剤が大きく普及した時代だという。

 70年代の台所用洗剤の位置付けは、比較的新顔の生活必需品として、周囲に配るには最適だったのかもしれない。前出の南相馬市博物館の二本松文雄学芸員は「相馬地方では、昔は風呂敷や手拭いなどの生活必需品を厄払いの宴席の返礼品として渡していた。県北ではそれが時代の流れに合わせて洗剤に代わったのでは」と推測する。

 台所用洗剤を年齢の数だけ(33本や42本も!)購入するなんて、商売上手な誰かが思い付いた風習なのでは...と予想していたのだが、結局、明確な起源にはたどり着けなかった。引き続き情報を募集しますので、いつ、どこで洗剤を配り始めたのか、ご存じの方はぜひご一報ください。お待ちしています。(佐藤香)