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デビュー曲「福島夜曲」
生誕100年記念
デビュー曲「福島夜曲」
福島夜曲直筆色紙(古関裕而記念館提供)
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(5)2009.02.16

あこがれの夢二に捧げた曲
 昭和5(1930)年、コロムビアに念願の入社を果たした古関は翌年、専属作曲家としての活動を開始しました。その年の5月、記念のレコード発売の話があり、かつて作曲した「福島行進曲」(作詞野村俊夫)を吹き込むことになりました。「記念すべきデビュー曲は故郷に捧(ささ)げるつもりであった」と自伝で述べています。この歌は天野喜久代が歌っていますが、その裏面には自作で郷里に関するものをと、「福島夜曲(セレナーデ)」(作詞竹久夢二)に決定しました。
 夢二を尊敬するのには理由がありました。夢二は絵画の専門教育を受けずに「大正時代の浮世絵師」としての高みに到達し、庶民から高い人気を誇っていました。夢二の生き方こそ、古関にとってまばゆい存在と映っていたに違いありません。

■詩画に歌心湧く
 元福島ホテル(福島市)の経営者杉山秀次の『わが七拾七年』によると、
 《夢二が福島に来訪するようになった発端は助川啓四郎(田村郡出身、後に衆院議員)にあった。助川と夢二は早稲田大の同窓生であり、助川が所用で上京した際に夢二のもとに宿泊、そのお礼も兼ねて福島に招待し、後輩の杉山の経営する福島ホテルを定宿にした。大正3年から昭和4年までの15年余の福島往来の総まとめが十二景にわたる「福島夜曲」の詩画であった》と述べています。
 ちなみに、セレナーデは漢字で「小夜曲」ですが、夢二も古関もともに「夜曲」の文字を使っています。
 29(昭和4)年、川俣銀行に勤務中の古関は、夢二展が福島で開催されることを聞きつけて早速、会場に出掛けます。奉書巻紙に描かれた水墨彩色の詩画「福島夜曲」に深く感動、歌心が湧(わ)き起こりました。彼は短歌を全部ノートに写して帰宅、すぐに部屋にこもり感興の赴くままに作曲しています。これこそ「会心の作」(自伝)との思いで、初対面の夢二の宿泊先を訪ねて作品を献上しました。
 後年、夢二展の中でその時の楽譜が展示されていた、と古関は大喜びで回顧しています。
   
デビュー曲「福島夜曲」
20歳の古関(丹治三千男氏提供)
    メ  モ                                     
夢二の短歌 
 吾妻山や奥の細道などを巧みに短歌に詠み、詩歌に造詣(ぞうけい)の深さを感じさせます。「遠い山川尋ねて来たに 吾妻時雨て見えもせず」「奥の細道とぼとぼ行きやる 芭蕉さまかよ日のくれに」「忍ぶ御山に帯ときかけりや 松葉散らしの伊達模様」

 


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