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福商青春歌
生誕100年記念
福商青春歌
福商青春歌の直筆楽譜(福商提供)
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(6)2009.02.23

「永遠の若さ」格調高い名曲
 1930(昭和5)年9月、古関は6月に結婚したばかりの妻金子(きんこ)とともに重大な決意を秘めて東京に旅立ちました。音楽家として身を立てるためでした。
 出発直前、福商の後輩が古関を訪ね、「福商青春歌」の作曲を依頼しています。これは、同校国語教師坂内萬(ばんないよろず)によって作詞され、古関が短時間の内に作曲した逍遥歌(しょうようか)です。「福商青春歌」はNHKテレビ「歌は生きている」で全国放送された名曲で、古関は歌い継がれる秘密を「永遠の若さ」と述べています。
 「昭和37年3月、NHKで、全国5つのブロックからそれぞれ1校を選び校歌、学生歌の特集をやった。北海道は北大、東北は福商、関東は早稲田、関西は京大、九州は熊本高女の5校でその学校出身者をゲストに校歌、学生歌にまつわる話を取り上げた。若い時の作品には若さが満ちている。作曲者は年々老いてゆくが作品は永遠に若い。これからも若い人々によって福商青春歌が歌いつがれてゆく事を望む」(「青春歌の思い出」)

■素直な心と美しい夢
 「福商青春歌」の元歌は「青春の日」の題名で、福商機関誌「学而」第7号(昭和6年)に発表され、福島の美しい自然が春夏秋冬の季節毎(ごと)に詠(うた)われています。坂内は後に漢詩でも青春歌を書き残しています。
 一、春の光のうららかに/溶けて流るる阿武隈の/岸の桜の下蔭に/吹く草笛の音ものどか
 (春光流水和草笛 桜花影映隈江淵) 
 五、ああ青春の歓びや/さとしにもゆる星の影/若き生命に微笑めば/涙は流るほほの上
 (青春幾時奈啓示 微笑頬上熱涙傳)
 この歌が作詞された時代は世界恐慌の真っただ中で、卒業即(すなわ)ち失業と言われた時代でした。坂内は「生徒には健全で素直な心と美しい夢を持ってほしい」との思いで作詞し、古関に作曲を依頼、出来上がったのが「福商青春歌」でした。
 古関作曲の校歌・応援歌が多くの人々の共感を呼び、いつまでも歌い継がれるのは、彼のメロディーが格調高く、気品に溢(あふ)れているからだと思います。
   
福商青春歌
福商時代の古関の自画像(古関裕而記念館提供) 
    メ  モ                                     
坂内 萬 
 国語の教師で会津出身。26年に丹治嘉市とともに福商に赴任し、40年まで勤務した後、会津地区で校長などを歴任しました。79年、福商は創立80周年を迎え、前庭に「福商青春歌碑」を建立、青春歌成立の由来を述べ、古関らの業績を称(たた)えました。

 


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