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阪神タイガースの歌
生誕100年記念
阪神タイガースの歌
平成15年阪神優勝、歓喜の六甲おろしが甲子園球場にこだました
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(10)2009.03.23

愛され今日も歌い継がれる
 デビュー直後の古関は1931(昭和6)年、「紺碧の空」を作曲して以来、鳴かず飛ばずの状態でしたが、「船頭可愛や」が大ヒットし、名前は一躍、全国に知れ渡るようになりました。
 一方、日本にプロ野球チーム(読売巨人軍の前身)が結成されたのは、34年のこと。翌年、大阪でも大阪野球倶楽部(大阪タイガース)が創設され、36年、「日本職業野球連盟」というプロ野球連盟が発足、日本初のプロ野球の試合が行われました。
 その36年のこと。大阪タイガースからコロムビアに球団歌の制作依頼があり、ここに「大阪タイガースの歌」が誕生しました。作詞は佐藤惣之助、作曲古関裕而、歌手は中野忠晴でした。その後、61年に球団名が「阪神タイガース」に変わり、球団歌はタイガースのファンによって次第に広まっていきました。この歌は「六甲おろし」の愛称で、今やカラオケの定番ともなっています。

■40万枚の大ヒット
 1985(昭和60)年、阪神タイガースが21年ぶりに優勝し、「レコードは大ヒットとなり、40万枚売れた」(県大阪事務所資料)と言われています。2003(平成15)年には、闘将星野仙一監督率いる阪神タイガースが独走で優勝し、阪神ファンを歓喜の渦に巻き込んだことは記憶に新しいところです。
 ところで86年、幻の「六甲おろし」のレコードが発見された、との報道がありました。最初に200枚限定で制作されたうちの1枚で、感想を聞かれた古関は「阪神タイガースの歌は特に気に入っている曲です。曲はいつの間にか『六甲おろし』と呼ばれているけれども、今でも阪神タイガースの歌が正式だと思います。最後のリフレインで、『オウ オウ オウ オウ オーサカ・タイガース』と歌うのが韻を踏んでいて良かった」(「サンケイスポーツ」86年1月24日)と述懐しています。
 このエピソードは、作曲家がいかに作詞を尊重しているかを如実に物語っています。
   
「大阪タイガースの歌」のレコード(古関裕而記念館提供)
    メ  モ                                     
「闘魂こめて」 
 1963(昭和38)年、プロ野球巨人軍創設30周年を記念して古関作曲の「巨人軍の歌〜闘魂こめて〜」(椿三平作詞・西條八十補作)が発表されました。巨人・阪神伝統の一戦で、現在も古関作曲の応援歌がファンの間で歌われ、戦いに花を添えています。

 


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