古関裕而『うた物語』TOP
野口英世の歌
生誕100年記念
野口英世の歌
「野口英世」の歌の楽譜(古関裕而記念館提供)
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(14)2009.05.04

医聖の功績をたたえて作曲
 日本の科学者で人気投票第1位の野口英世は、日本が誇る医学者、細菌学者です。2004(平成16)年秋には、1000円札の肖像になり、話題をさらいました。
 野口は1876(明治9)年猪苗代町に生まれました。1歳半の時、左手に大火傷(やけど)を負いましたが、そのハンディを乗り越えて、毒蛇や梅毒、黄熱病を研究し、世界的に有名になりました。
 彼は第1次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)した1914(大正3)年、15年、20年の3度ノーベル賞候補に挙がりましたが、受賞をことごとく逃しています。もっとも野口の手紙によると、「当時のアメリカでさえもノーベル賞受賞者はいなかった」(小桧山六郎著「素顔の野口英世」)というほど、受賞は困難なことでした。

顕彰歌は3曲
 ところで野口の業績を顕彰した「野口英世の歌」は何曲あるのでしょうか。『フォトドキュメンタリー・野口英世』(財団法人野口英世記念館発行)には3曲の唱歌が掲載されています。
 最初の曲は、土井晩翠作詞・古関裕而作曲の「野口英世」です。会津高校・学而新聞(平成4年3月)によると、「この曲は1941(昭和16)年頃(ごろ)に作られたもの」で、晩翠は英世の一生を、「幼き時に炉に落ちて/左の手なる大火傷/不具を嘆ずる一念は/世界医聖の実を結ぶ」と丹念に表現し、古関によって美しいメロディーが付けられました。
 2つ目は昭和17年2月、文部省初等科に作成された文部省唱歌「野口英世」です。そこでは「磐梯山の動かない/姿にも似たその心/苦しいことがおこっても/つらぬきとげた強い人」と、野口を褒め称(たた)えています。
 古関裕而の曲と文部省唱歌を、歌詞で比較することはできませんが、野口の一生を克明に辿たどり、また快適なテンポと歌いやすさの点において、古関裕而作曲の唱歌が勝っているといわれています。
 また、3つ目の曲は「ああ野口英世」といい、昭和40年に作詞鈴木稔・作曲服部正の曲として発表されています。
    メ  モ  
 土井晩翠 
 1871年〜1952年の詩人、英文学者。仙台市に生まれ、家は代々質商。1897年東京帝大英文科を卒業。99年に母校二高教授として、仙台に帰った。以後、終生仙台に住み、詩人として島崎藤村と併称された。34年、名字を「どゐ」に改音した。   

 


〒960-8648 福島県福島市柳町4の29

個人情報の取り扱いについてリンクの設定について著作権について

国内外のニュースは共同通信社の配信を受けています。

このサイトに記載された記事及び画像の無断転載を禁じます。copyright(c) THE FUKUSHIMA MINYU SHIMBUN