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ひめゆりの塔
生誕100年記念
ひめゆりの塔
「姫ゆり部隊の歌」のレコードジャケット(古関裕而記念館提供)
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(31)2009.09.28

若くして散った女学生に涙
 1953(昭和28)年、東映は映画「ひめゆりの塔」を制作しました。監督は今井正、出演者は津島恵子、香川京子らで、ほかは新劇の人々でした。
 古関はこの映画の主題歌を作曲しました。作詞は西條八十、歌は伊藤久男でした。「首途(かどで)の朝は愛らしき/笑顔に母を振り返り/ふりしハンケチ今いずこ…」と歌う伊藤の声は観客の心の奥底に響き、若くして散った沖縄の女子学生に涙しました。
 主題歌は重苦しく哀(かな)しい歌であったため、あまりヒットはしませんでしたが、映画は連日大入り満員となり、傾きかけた東映が一気に活気づき、経営が立ち直ったといわれています。
 1962(昭和37)年になって、大蔵プロの映画「太平洋戦争と姫ゆり部隊」が公開されました。主題歌は作詞野村俊夫、作曲は古関が担当し、織井茂子が歌いました。
 前作に続きこの映画も、太平洋戦争で国内唯一の地上戦となった沖縄を舞台に、勤労奉仕動員のため、若い女性ばかりで組織された姫ゆり部隊の献身的な姿を描いた戦争大作です。
 大蔵貢が新東宝を退き、自ら設立した「大蔵映画」の記念すべき第一回作品として、当時としては破格の6億円の制作費が投じられました。また、自衛隊の全面協力により再現された激しい戦闘シーンが、映画の大きな見どころでした。出演者は鞍馬天狗で有名な嵐寛寿郎や南原宏治ら、錚々(そうそう)たるメンバーでした。
流れるヒューマニズム
 戦時中の古関や野村らは、戦意高揚の歌を作ることを余儀なくされながらも、実は兵士たちのために、厭戦(えんせん)歌や鎮魂歌を作っていたのです。
 藤山一郎のおい・増永基文によると、「世界的に有名な指揮者岩城宏之さんは『古関さんは上手に厭戦歌を作っておられた』と述べております」というのです。以前にも触れた通り、古関や野村の戦時歌謡に流れていたのは、「他人の痛みを自分の痛みとして感じることのできるヒューマニズム」でした。それらが大衆に癒やしと慰めを与えていたのです。
 現在でも沖縄では「ひめゆりの塔」が歌われ続けています。
    メ  モ  
 「別れの曲」 
  卒業を控えたひめゆり学徒隊のために作られた曲で、作詞者は郡山商業学校出身の太田博少尉、作曲者は沖縄の東風平恵位(こちんだけいい)です。この曲を歌いながら「ひめゆり学徒隊」の240人中219人が戦死したといわれています。 

 


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