古関裕而『うた物語』TOP
荷物片手に
生誕100年記念
新婚直後の古関夫妻(古関裕而記念館提供)
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(34)2009.10.19

上京した夫妻の姿そのもの
 古関作曲、野口雨情作詞「荷物片手に」は、1957(昭和32)年封切りの映画「雨情物語」の主題歌です。森繁久弥扮(ふん)する雨情が主人公で、主題歌の内容は志を立てて1930(昭和5)年に上京した古関夫妻の姿そのものでした。当時、もの書きや舞台人、歌作りは一般に一段下の職業とみなされていました。
 「こんな恋しいこの土地捨てて/どこへ行くだろあの人は」
 荷物を片手に、恋しい故郷豊橋を捨てて福島に嫁入りしたのは、妻内山金子(きんこ)そのものでした。
 「わしも行こかなこの土地捨てて/荷物片手にあの人と」
 さらに愛着断ちがたい福島を離れて上京したのは、古関と金子であったわけです。若くして故郷を出た二人に望郷の念はいつまでも続いたのではないでしょうか。その思いは懐かしい友人との語らいにしばしば向けられています。
 ■紹介状を持って東京へ
 古関の友人篠木治助(しのぎじすけ)は、福島市豊田町の雑貨卸商濱屋の跡継ぎで、古関とは附属小と福商で同級生でした。篠木の妻は県吹奏楽連盟理事長などを務めた三浦通庸の妹千代子で、息子治一郎(福商昭和30年卒)は父の死後、家業を継いでいます。千代子と治一郎は、治助と古関の思い出を語ってくれました。「古関さんが上京する時、三浦は山田耕筰(こうさく)や作家たちに紹介状を書いて持たせてやりました。古関さんは上京直前に作曲した『福商青春歌』のことを忘れていたようですが、今考えると、思い出したくないという気持ちもあったのかもしれません。福島を去る時は実家がほぼ倒産状態でしょ。二度と福島の土を踏むまいとのハングリー精神があって大成功したのだと思います。古関さんが福島に来た時はよく家に来ました。幼なじみというのは懐かしいものなんですね」
 古関の場合もまた、室生犀星(さいせい)のような「ふるさとは遠きにありて思ふもの」であったのかもしれません。古関の抱くそれらの思いが凝縮している古関メロディーの中に、身を焦がす望郷の念とセンチメンタリズムが垣間見えるのです。
    メ  モ  
 野口雨情
 1882(明治15)年生まれ。早稲田大に入学したものの中退。樺太や北海道で就職、石川啄木と知り合いました。1919(大正8)年、西條八十の紹介で中央の児童雑誌に童謡作品を発表。代表作は「船頭小唄」、「七つの子」「赤い靴」「青い目の人形」など。45年逝去。

 


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