【 須賀川・2人の円谷(下) 】 空を愛し夢見た英二 模型作り熱中

 
松明通りの歩道に設置されているウルトラマンのモニュメント。英二の愛した空を見上げる

 1939(昭和14)年。1機の飛行機が須賀川上空を飛んだ。陸軍航空本部の依頼で飛行機操縦の教材映画を撮影中の機体が須賀川に差し掛かると、1本の筒が落ちてきた。いとこの結婚を祝おうと円谷英二が同市中心部にあった生家に向けて投げた筒だ。筒は生家を外れ、市街地に落下。近所の人が拾って生家に届けたという。太平洋戦争まで2年。須賀川にはまだ、牧歌的な空気が流れていた。

 英二は空が好きだった。5歳年上の叔父一郎さんの力を借りて自宅近くの長松院のイチョウの木に登っては、空を見ていたという。

 英二は空を見ながら空を飛ぶ自らの姿を夢想した。同市中心市街地の松明(たいまつ)通りを西に入った生家の蔵で英二は飛行機の模型作りに熱中。その精巧さは大人も目を見張るほどで福島民友の取材を受けたこともあった。

 ◆特撮で飛行機

 15歳になった英二は飛行機の操縦士を目指して上京するが、学校で墜落事故が起きるなどして、操縦士の夢は頓挫。18歳のころ映画界に入ったものの、兵役に就いたことを機に一時、須賀川に戻った。一郎さんら家族からは家業の糀(こうじ)、味(みそ)製造販売を手伝ってほしいと言われたが、英二は程なく家を出て、一郎さんら宛てにわびの手紙を送った。

 英二の生家近くに生まれ、祖父と一郎さん、英二が親しかったというクリーニング会社経営鈴木和幸さん(57)は「須賀川に帰ってきて映画館ができていたこと、英二さんと年の近い祖父がクリーニング店を営んで繁盛していたことなどが映画作りに戻るきっかけになったのではないか」と推測する。

 上京後、英二は活動場所を一時京都に移すなどしながらカメラマンとして頭角を現す。いとこの結婚を祝って筒を投げ落としたのは英二が30代後半の働き盛りのころ。一郎さんの孫で、英二の生家で大束屋珈琲店を営む誠さん(57)は「英二さんは家族思いだったのだろう」と話す。

 英二は戦争映画などで子どものころから熱中した飛行機を特撮で描き、高い評価を得る。戦後、戦争協力者として一時会社を追われるが、この時期に培った特撮技術がゴジラやウルトラマンを生むきっかけとなった。

 怪獣と戦い終えたウルトラマンはおもむろに空を見上げ「シュワッ」の掛け声とともに飛び去っていく。ウルトラマンの飛ぶ空は、英二が子どものころ、長松院から見上げた空だ。

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