【 喜多方・ふれあい通り商店街(上) 】 古き良き『昭和』の空気感
昭和を代表する往年の名車、商店街を彩る色鮮やかな七夕飾り、ベーゴマや竹とんぼなどの昔ながらの遊び。蔵が立ち並ぶ喜多方市の中心部が毎年2日間だけ、昭和にタイムスリップするイベントがある。ふれあい通り商店街を舞台に繰り広げられる「喜多方レトロ横丁」だ。今年は15、16の両日に開かれている。
商店街の全長は約800メートル。その一角でみそ・しょうゆの醸造元、若喜商店を経営する12代目の冠木紳一郎さん(61)=喜多方観光物産協会長=は昭和30年代の商店街について「観光地ではなかったが、人通りが多くてにぎわっていた。華やかな時代だった」と懐かしむ。
当時、若喜商店に事務所を構えていた会津喜多方商工会議所が中心となって「商工祭」を開催。仮装行列や大売り出しなどの催しに大勢の人が訪れ、街は熱気に包まれた。
喜多方はその後、「蔵のまち」として全国から一躍脚光を浴びるようになる。きっかけは1975(昭和50)年に放送されたNHKのテレビ番組「新日本紀行」。「蔵ずまいの町」をタイトルに蔵で生活する人々にスポットが当てられ、地元住民にとって当たり前だった普段の暮らしが視聴者の反響を呼んだ。
NHKが番組で取り上げるきっかけをつくったのが同市で金田写真荘を営んでいた故金田実さん。取り壊される古い蔵の街並みを記録に残そうと、昭和40年代に一人で蔵の写真を撮り続け、各地で写真展を開いた。その写真が偶然、NHK関係者の目に留まったという。
◆熱意受け継ぐ
時代は平成になり、喜多方は年間約185万人が訪れる観光地となった。蔵と昭和の雰囲気を最大限に生かした喜多方レトロ横丁は2005年の会津デスティネーションキャンペーンを契機に始まる。地元の若者らが昭和のまちづくりに取り組む大分県豊後高田市を参考にした。
「最初は何も分からない状態だった。ただ、二番煎じでも10年続ければ本物になると信じていた」。2代目実行委員長を務める阿部浩一さん(57)は連日連夜、準備に奔走した思い出を振り返る。会津喜多方商議所青年部を中心にメンバーがアイデアを出し合い、大小さまざまな催しを展開することになった。
しかし、本番の3日前に事務局長を務めていた菊地修二さんが不慮の事故で死去した。メンバーは悲しみを乗り越え、イベントを成功させた。
喜多方レトロ横丁は今年で13回目。例年、2日間で約12万人が訪れる行事となった。「彼の弔いの意味も込めて続けている部分もある」と阿部さん。古き良き昭和を後世に伝え、地域を盛り上げようとする熱意は受け継がれている。
≫≫≫ ちょっと寄り道 ≪≪≪
【昔懐かしいおもちゃを販売】若喜商店は1755(宝暦5)年から続くみそ・しょうゆの醸造元。隣接する雑貨店「若喜.昭和館」は柱時計や電信柱、昭和の映画看板が飾られ、レトロな空間が広がっている。店内では、昔懐かしい駄菓子やプラモデル、おもちゃなどの多彩な商品を販売。営業時間は午前10時~午後3時ごろ。水曜休館。12~3月は閉館。雑貨店とは別に国登録有形文化財「煉瓦(れんが)蔵」なども見学できる。
〔写真〕懐かしい駄菓子やプラモデルなどが並ぶ「若喜.昭和館」
- 【 二本松・旧裏町 】 人と人...結んで元気に 社交場的な感覚がいい
- 【 いわき・植田の歩行者天国 】 継続が生んだ可能性 街支える力に
- 【 国見・あつかし歴史館 】 思い出の場所...『形変え』生きる学びや
- 【 猪苗代・中ノ沢温泉 】 流れ着いた男...温かい名湯と人情とりこに
- 【 いわきとアート(下) 】 多様さ生み育む『潮目』 本物を求めて
- 【 いわきとアート(上) 】 この店から始まった 病負けず創作活動
- 【 柳津・斎藤清晩年の地 】 求め続けた『古里の美』 消えない思い
- 【 須賀川・赤トリヰ 】 『夢の跡』また集う場に 笑顔あふれるよう
- 【 福島・土湯温泉(下) 】 荒波を越えて悠然と 温泉街のシンボル
- 【 福島・土湯温泉(上) 】 湯気の先に『職人の魂』 季節で味変化