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  【 福島の万葉歌碑TOP 】
「二つ沼」(広野)
沼二つ通は鳥が巣あが心二行くなもとなよ思はりそね
 
 地元歌人が調査考証

 昭和57年3月、広野町の国道6号沿いの二ツ沼古戦場に、

 沼二つ通(かよ)は鳥が巣あが心 二(ふた)行くなもとなよ思(も)はり そね
 (巻14・3526)

が建立された。

 建立者は広野町である。高さは台石も含めて約2メートル、幅0.8メートルの大きな歌碑である。碑文の揮毫(きごう)は扇畑忠雄。歌意は「沼二つに通う鳥は、二所にねぐらを持つが、その鳥のねぐらのように、二つの所へ私の心が行き移ると思うなよ」である。

 碑陰には次のとおり刻されている。

 「万葉集第14巻3526/奴麻布多都可欲波等里我栖安我己許呂布多由久奈母等奈与母波里曾禰/万葉集東歌『沼二つ』の故地が松田亨氏(元富岡高校長)の考証によって明らかにされ、さらに東北大学名誉教授扇畑忠雄先生の支持論証を得て世に認められるに到った。ここに扇畑忠雄先生の揮毫によって歌碑を建立し、この地を伝えるものである。/昭和57年3月吉日 広野町」

 この歌碑についても、「比多潟の歌碑」と同様、松田亨(本名一(はじめ))の功績が大きい。

 「比多潟」「二つ沼」「松が浦」の三首が本県ゆかりの万葉歌として特定された経緯については前述したとおりであるが、こうした新しい説が特定されたのも、松田が歌を理解しやすい土地柄に生まれ育ち、かつ研究熱心だったことに負うところが大きい。

 いわき市方面から国道6号を北上し、広野町に入ると東手に広野火力発電所の煙突が見えはじめる。やや進行すると、国道の東側と西側に小さな沼(二ツ沼)があるが、歌碑は西側の沼の畔に立っている。二ツ沼がある「二ツ沼古戦場」は、慶応4年、二ツ沼北側の丘陵地に溝塁が築かれ、戊辰の役では大激戦となった所である。現在は二ツ沼総合公園として整備されている。

 扇畑忠雄は『松田亨遺歌集』(群山叢書第140編、昭和61年刊)の中に、「松田さんは、教育者であり歌人であるとともに学究の徒であって、相馬地方の文化史的研究に心を注がれた。ことに浜通りの万葉遺跡の調査考証にすぐれた見解を示され、万葉東歌の『松が浦』『二つ沼』『ひた潟』についての論文を発表し、その顕彰につとめられた功績は忘れることができない。私もみちのくの古代文化は、この浜通りに最も早く開拓されたという考えを持っているので、松田さんのこうした研究の発表を期待していたが、いまは空しくなった。この遺業を継ぐ人を待ちたいものである。すぐれた彫刻家佐藤玄々の芸術を評価された『天女開眼』の著も他の追随を許さないが、『花蕊』『磯山』などの生前出版の歌集が形見として残された。…」と述べているが、生前の松田を知る1人として身に沁しみるものがある。

 最後に二つ沼にちなむ松田の一首を掲げる。

 乾上りし二つ沼跡古への 船着時代は水に浸りけむ(『松田亨遺歌集』)(敬称略)
 (福島短歌研究会会長)

今野 金哉

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二ツ沼古戦場に立つ歌碑



【2008年1月23日付】
 

 

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