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「弦はけて」と問答歌
昭和53年11月12日、二本松市郭内の観音丘陵遊歩道脇に、
陸奥の安太多良真弓はじき置きてせらしめ来なば弦はかめかも(巻14・三四三七)
の歌碑が建立された。
建立者は二本松松樹会連絡協議会(中島元道会長)であり、同会の文芸部員・根本勝治(筆名並木一樹)が発案・揮毫(きごう)した。
高さ5メートル、幅7メートルほどの大きな自然の御影石に、歌を陽刻した銅板が嵌(は)め込まれている。碑の上部には水田壮介(日本美術家連盟会員)の筆による安達太良連峰が白く陰刻されている。
歌碑の付近の案内板には、次の通り説明がある。
「この歌は万葉集第14巻(東歌・譬喩(ひゆ)歌)の中の一首で 弓のつるをはづして永く放置しておけば 再びつるをもどすには むづかしくなるであろうという意味で 人間関係の大切さを弓に譬(たと)えて詠(よ)まれたものです 万葉歌は全巻20巻4500余首詠まれてあります 安太多良真弓は1600余年前既にその名の如く全国的に売り出されていたと文献にあり 歴史の上からも貴重な歌です この碑は今年二本松市制20周年を記念し二本松松樹会が 永遠に残す事業として建立した記念碑であります 昭和53年11月12日 二本松松樹会」
扇畑忠雄(万葉学者)によれば、
みちのくの安太多良真弓弦(つら)はけて引かばか人の吾を言なさむ(巻7・一三二九)
みちのくの安太多良真弓弾(はじ)きおきて撥(せ)らしめ来なば弦はかめかも(巻14・三四三七)
は、一、二句の表現の一致や三句以下の「弦はく」に託された相聞的発想からみれば、もともと巻を異にして配置されるべき歌ではなく、両者とも「寄弓」の歌であり、ともに「陸奥国歌」の左注のもとに巻14の東歌として一括されてよい作品である。
集中の部立または左注ではっきり問答歌と示されているものを顕在問答歌、はっきり示されてはいないが、その内容や表現の上から問答の体をなすと思われるものを潜在問答歌と称すれば、この二首は類歌というより、もともと問答歌として成立していたものが採集編纂(へんさん)にあたって分割されたいわゆる潜在問答歌の一例と考えられよう。
前者は「みちのくの安太多良の弓に弦を張って引くように、あなたを私の手もとに誘ったならば、人が私のことをいろいろ言い立てて噂することだろう」という男の歌であり、後者は「みちのくの安太多良の弓をはじいたままそらしておいたならば、二度と弦を張ることができましょうか。私との間をつれなくしておいて、ふたたびもとへ戻すことはできますまい」という女の歌であるとすれば、世間態をおもんぱかってにえきらない男の未練がましさと多情に、手きびしくシッペイ返しした問答歌が成立するのである、としている。(「地方歌を媒介するもの」・『万葉集の発想と表現』所収)
同碑の近くには、二本松市が生んだ芥川賞作家東野辺薫の『和紙』の一部を刻した碑も建立されている。(敬称略)
(福島短歌研究会会長) |
今野 金哉
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二本松市郭内の観音丘陵遊歩道脇に建立された歌碑
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【2008年3月5日付】
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