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土地ゆかりの歌 後世に
平成6年12月21日、福島市鳥谷野の鹿島神社境内に、
とやの野にをさぎ狙はりをさをさも寝なへ子故に母にころばえ
(巻14・三五二九)
の歌碑が建立された。
本碑は、同地を調査に訪れていた高橋光広(栃木県在住、万葉集研究家)の助言で「鳥谷野ゆかりの和歌を後世に伝えたい」と、羽田稔(市文化財調査員)らが杉妻地区史跡保存会の会員に呼び掛けて建立。碑石は高さ約1メートル、幅約0.6メートル。『古今和歌集』中の一首(みちのくの信夫の鷹の鳥谷ごもりかりにもしらじ思ふ心は・中務卿(なかつかさ)親王)も併刻されている。揮毫(きごう)は酒井正(元福島一中校長)。
歌意は「とやの野に、兎を狙うように、ねらいながら、はかばかしくも寝ないおとめのために、母に叱責される」である。この歌については、学会において「福島県鳥谷野説」が定説になっていない。
山上憶良歌碑は、昭和52年3月20日、白河市菖蒲沢・白河市立第一小学校正門脇に建立された。
歌は、憶良の「子等を思ふ歌 瓜食めば…」の反歌、
銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
(巻5・八〇三)
である。
建立者は同校の昭和51年度卒業生保護者一同。子どもたちの卒業にあたり学校へプレゼントしたもの。
歌碑は高さ1.2メートル、幅1.8メートルほどの黒御影石である。台座は、当時の6学年主任・関根直次の故郷である矢吹町三神地区から運ばれた。碑面の揮毫は、鈴木五郎(元白河一小校長、号築葉)である。
碑陰には、当時の校長深谷健(元白河市教育長)の歌と文が自筆で次の通り刻されている。
あ子のこと思い想いていくたびかこの坂道をかよいつるかな
まさに親心とは かく尊くせつないもの そして 教師もまたこの子らにかけた親の祈りをばあだにはすまじひたむきに生く
と 教えの道一筋に情熱を注がれたのであるこの 親と教師を結ぶ強いきずなは 醇乎として 醇なる子をおもう一念であった ここに この歌碑を建て われらの心を伝えようとするものである
昭和51年度卒業生 保護者一同
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12回にわたり県内の万葉歌碑を紹介してきたが、紙幅の関係で言い尽くせない点も多々あった。今後、建立が望まれる歌碑に「宮代の歌碑」(福島市宮代)がある。『万葉集』中に、
宮代の沙丘(すか)へに立てる顔が花な咲き出いでそねこめてしぬばむ
(巻14・三五七五)
があり、多くの学者が「福島県宮代説」を支持しているところである。(敬称略)
(福島短歌研究会会長)=おわり |
今野 金哉
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福島市鳥谷野の歌碑
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白河市の山上憶良の歌碑
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【2008年3月26日付】
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