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  【 松平定信公伝TOP 】
【 田沼意次の時代(4) 】
 
 蘭学の興隆期が出現

 杉田玄白は、『蘭学事始』で次のように述べる。

  その頃(ころ)より世人何となくかの国持渡(もちわた)りのものを奇珍とし、総べてその舶来の珍器の類を好み、少しく好事(こうず)と聞えし人は、多くも少くも取り聚(あつ)めて常に愛せざるはなし。ことに故(もと)の相良侯当路(さがらこつとうろ)執政の頃にて、世の中甚だ華美繁花の最中なりしにより、彼船(かのふね)よりウエールガラス(天気験器)、テルモメートル(寒暖験器)、ドンドルガラス(震雷験器)、ホクトメートル(水液軽重清濁験器)、ドンクルカーム(暗室写真鏡)、トーフルランターレン(現妖鏡)、ソンガラス(観日玉)、ループル(呼遠筒(こえんとう))といへるたぐい種々の器物を年々持ち越し、その余諸種の時計、千里鏡、ならびに硝子(がらす)細工物の類、あげて数へがたかりしにより、人々その奇巧に甚だ心を動かし、その窮理の微妙なるに感服し、自然と毎春拝礼の蘭人在府中はその客屋に人夥(おびただ)しく聚まるやうになりたり。

 文中の「相良侯当路」は、田沼意次で、意次執政の頃というのであるから、安永・天明期の風潮を伝えている。意次をはじめ江戸の好事家は、舶来の珍品を好んで収集できる自由で開放的な大気があったと分かる。

 杉田玄白はこうした大気のもと、安永2(1773)年、『解体約図』を、翌年蘭学の金字塔ともいえる『解体新書』を出版した。これは『ターヘル・アナトミア』こと、蘭書『オントレートクンディヘ・ターフェレン』(Ontleedkundige Tafelen)の本文のみの翻訳だが、わが国最初の本格的翻訳書であった。

 もっとも玄白とて、安閑として出版できたわけでない。『解体約図』という案内予告を配布して反響をみ、用意周到のうえ『解体新書』を出版した。というのも明和2(1765)年、玄白も知る後藤梨春が『紅毛談(おらんだばなし)』を出版し、咎(とが)めをうけたからである。

 これはオランダの地理・風俗・珍品類を雑録した小冊子だが、アルファベットを記載したことが問題視された。一説に「絶板被命」とあるが、疑問が残る。というのは、文化3(1806)年の『紅毛噺唐繰毛(おらんだばなしからくりげ)』は『紅毛談』と同じ内容で、『紅毛談』の板木は残されていたと分かるからである。後藤梨春の咎めも、自由な大気のもと、ひどいものではなかったであろう。

 周囲に配慮して公刊した『解体新書』をもって、蘭学という言葉が広まり、蘭学の興隆期を出現させたのである。

(福島大名誉教授)

磯崎 康彦

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「解体新書」の扉絵

【2008年6月11日付】
 

 

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