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芸術美より自然美主眼
古典籍をさかんに書写した定信は、文政元年以後の出版とされる『花月草紙』で、「和書の評」を取り上げる。
いせものがたりは梅のごとく、源氏ものがたりは桜のごとく、さごろもは山吹のごとし、つれづれぐさはくす玉につくれるはなのごとしと、ひとはいひけり。
「ひとはいひけり」とあるが、定信の評価でもある。源氏は桜、伊勢は梅、狭衣は山吹とし、『徒然草』は「くす玉につくれる花」とする。
前三者の物語は自然の花に、後者の『徒然草』のみは人工の花にたとえる。これは優劣を述べ、『源氏物語』などの三書は「優」、『徒然草』は「劣」なのである。この優劣は、定信の庭園観をみればすぐ理解できる。定信は、『菟裘(ときゅう)小録』で庭造りについて次のように述べる。
庭はたゞ地勢といふものあり、海ちかきところは、たとへ海などみゆるにあらねども、木だちといひ、吹かぜまでも、海のおもむきはあるなり。それをみやまのつきにつくらんとしては、おのづからのけしきにさかふものなり。石にも海と山とのたがひあり、せばき庭ならばともあれ、広くばその地勢をかうがへてつくるべし。水など流るゝならば、山河のやうにし、滝おとしなどつくらば、手ごろの石は、わけもなくたゞ高くなげあげて、おつるときのおのづからの姿にまかすべし。
そして最終的に、庭造りを「わが心にたくはふる事なく」、「地勢にしたがふ計なり」とするのである。
定信の庭園観は人工の力や技術を極力廃し、自然地形を生かして、自然の摂理に従って作庭することであった。定信の造った五つの庭園は、すべてこの造庭法に依拠した。だから江戸の浴恩園も白河の三郭(さんかく)四園(しえん)も、「人力多く費やすにあらざるとも知るべし」と言うのである。
美学において美的現象を総括する基本的概念は、自然美と芸術美に分けられる。一般に自然美は、自然の所与に見出される美であり、芸術美は芸術家の創造による所産にあらわれた美である。
定信は、芸術美より自然美を主眼とした。もっとも定信の命により描かれた庭園真景図は、美的な芸術作品である以上、自然の単なる外形模倣ではない。自然の本質とか生命を直観的に把え、自然の真実を表現した作品である。したがって写実的な真景図は、絵師の内面的な表出であることは避けられないが、ただその際、絵師の意欲的な情態を手がかりとしつつも、これより多く自然を手がかりとした作品ということである。
このように自然美と芸術美とに区別し、定信の先の人工の花と自然の花を判断すれば、人工の花に比喩される『徒然草』は、定信の意に添わず、『源氏物語』などより「劣」なのである。
(福島大名誉教授)
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磯崎 康彦
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松平定信の業績が紹介されている「福島縣偉人事蹟」 |
【2008年7月23日付】
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