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  【 松平定信公伝TOP 】
【 寛政の改革・商業政策(1) 】
 
 札差が巧妙な不正利殖

 定信は農政のほか、商業政策を重視した。「金穀之柄(へい)は商家に帰して」いたものを、「金穀之柄上に帰」すことであった。「上」とは幕藩領主である。とりわけ弱体化したのは、旗本・御家人であった。
 
 旗本・御家人の知行は、領地を与えられて農民から年貢を取りたてる地方(じかた)知行であった。しかし領地のない旗本・御家人は、浅草にある幕府の御米蔵より俸禄(ほうろく)米を支給された。
 
 これを蔵米取(くらまいとり)といい、切米取(きりまいとり)と扶持米取(ふちまいとり)に分かれた。切米取は知行高を俵数で示し、1カ年の俸禄米は春4分の1、夏4分の1、冬2分の1に分割して支給された。扶持米取は、何人扶持と数えられ、1人扶持1日5合の割合で毎月支給され、そのため月俸ともいった。
 
 多くの旗本・御家人は蔵米取で、かれらは俸禄米を受け取り、幕府公示の御張紙値段にしたがって、市中の米問屋に売り現金とした。ここに介在したのが札差(ふださし)である。
 
 札差は旗本・御家人の俸禄米を受領して委託販売し、また予定の俸禄米を担保とし高利貸付業を営んだ。やがて貸付業を独占しようと株仲間を結成し、享保9(1724)年、札差株仲間は認可された。109人による蔵米取の旗本・御家人に対する金融の独占であった。
 
 札差業は旗本・御家人の札である給与手形を幕府の蔵役所に提出して蔵米を受け取り、売却する業であり、明和から天明期にもっとも繁栄した。蔵米を受け取る際の手数料を札差料というが、蔵米100俵につき金1歩(ぶ)であった。そして米問屋に売却する際の手数料を売側(うりかわ)といい、100俵につき金2歩であった。
 
 したがって札差が100俵を受領し売却をしても、手数料の合計は金3歩であり、それほど大した金額ではなかった。
 
 一方、札差が蔵米を担保にして旗本・御家人に貸金する際、その年利は株仲間結成当初、15%までと定められた。
 
 しかし現実には、それ以上の年利であったところから、18%あまりに引き上げるよう要望した。結局、町奉行所は実情をかんがみ、少々の上げ幅について、「少々の儀は借り主と相対(あいたい)次第に仕るべき由」とした。札差と旗本の相対次第として、その上げ率を黙認したのである。これが貸金の公定利率であった。
 
 札差は、公定利率に従わず、高利を得る手段をもった。奥印金(おくいんきん)である。これは旗本らが借金を申し込んだとき、貸すべき資金が不足していることを理由に、架空の金主(きんぬし)をつくり、札差が旗本と金主の保証人となり、借金証文に奥印を押すのである。架空の金主を介在させることにより、札差は公定利率にしばられず、思いどおりの高利を得るばかりか、礼金も取ることができた。もっとも巧妙な不正利殖であるから、町奉行所の取り締まり対象とされた。

(福島大名誉教授)


磯崎 康彦

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小峰城の石畳
小峰城の石畳

【2008年11月12日付】
 

 

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