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  【 松平定信公伝TOP 】
【 寛政の改革・奢侈と倹約(下) 】
 
 分相応の振る舞い要求

 定信は『物価論』において、物価高の諸要因を取り上げた。すでにその一部は前述したし、また諸要因の追求は為政者として当然の行いであろう。先に『物価論』をたいへん興味深い書と言ったのは、定信が諸要因の帰するところを明示し、それがいかにも定信らしい帰結としているからである。

 定信は、
  帰する所は金銀銭の位を失ひたると、つくる者多からず費すもの多きと、人気の馴ぬるとの三つなり、其三つをおしたづぬれば、奢侈(しゃし)の一つに帰す、

と言う。奢侈こそ、諸要因中の根本原因なのである。奢侈にふけるか、ふけらないかは、個人の倫理的なたしなみや心がけによる。

 つまり諸物価の高騰という経済的諸問題を各人の分に応じた道徳的問題に転化し、結論づけたのである。経済的問題から道徳的問題への転化は倫理的に記述されていないが、定信は為政者として世上での諸経験から直観的に判断した結果なのであろう。

 定信は奢侈・華奢(かしゃ)について、「いにしえより治世の第一とするは花奢をしりぞけ」ることで、その経緯は、「宝永正徳のころより花奢になりもて行とはいへども、前にもいふごとく宝暦明和之比之廿年は世風(せいふう)くづるゝ事早く、前の廿年はくづるゝ事おそかりけり」(『宇下人言』)という。では、どうして奢侈となったか。それは世上の「教すたれた」からであり、「制令」をなくしたからだとする。したがって「教」をなし、「制令」をなすことによって、奢侈を防ぐことができる。

 定信は『物価論』を書きあげた後、この自著を「山下幸内上書」とともに、幕閣の松平信明(のぶあきら)、松平乗完(のりさだ)、本多忠籌(ただかず)に回覧し、かれらの意見を求めた。松平信明は、「御政要御書取の趣甚以感服、諸々御尤(ごもっとも)の御事に奉存候」といい、「物価の御論、誠に御妙解と奉感心候」と答えた。

 松平乗完は、「御別紙物価の高論深く感服仕候」といい、自らも「さて詰る所は、奢侈の事に御座候」と返答した。本多忠籌の返答は『物価論』に書かれていないが、定信と寛政の変革を進めた人物であるから、定信の論に賛同したことは間違いなかろう。

 こうして奢侈に関する矯正策が「教」と「制令」の両面から打ち出された。「教」は朱子学による教えであり、「制令」は倹約、風俗、学政・学問、出版などの法度(はっと)であった。倹約令により、武士は為政者たる範を示すべきであり、百姓は衣服、髪形などの出費を抑え、農業に励むべきであり、町人は衣服、食事、贅沢品を慎むべきで、それぞれが分相応に振る舞うことを要求した。

 学政や出版の法度は、次節で述べる寛政2年の寛政異学(いがく)の禁であり、出版統制令であった。武士が武士に相応(ふさわ)しい身なりをし、倫理的な振る舞い身につければ、風俗は正され、奢侈はなくなり、しいては物価も安定するとみていたのである。

(福大名誉教授)

磯崎 康彦

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湯島聖堂

【2008年12月10日付】
 

 

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