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  【 松平定信公伝TOP 】
【 外交と蘭学・アイヌ騒乱(1) 】
 
 脚光浴びる北方蝦夷地

 3代将軍徳川家光により鎖国が断行されたとはいえ、海外情報がまったく絶えたわけではなかった。幕府公認のもと、オランダと清との貿易は長崎で続けられ、朝鮮使節も歴代将軍の襲職祝賀に来朝した。幕府はアジア事情のみならず、ヨーロッパの情報もオランダ人の報告する「阿蘭陀風説書(オランダふうせつがき)」を通して知ることができた。

 18世紀から19世紀にかけて、ロシア・イギリス・アメリカは東洋へ鋒先(きっさき)を向けた。

 ロシアは、ピョートル大帝もエカテリーナ2世も東進に熱心で、16世紀後半、シベリアに進入して植民地とし、そこより太平洋岸に至り、千島列島を占領、ここより南進した。

 明和8(1771)年、はんべんごろう事件が起こった。「はんべんごろう」こと、ポーランド軍人ベニョフスキー(M.A.A.Benyovzky)はカムチャツカを逃げ出し、長崎の阿蘭陀商館長にロシア南下を報告し、北辺の危機を警告した。

 これにより北方蝦夷(えぞ)地が知識人らの脚光を浴び、かつ長崎の阿蘭陀通詞に北方や蝦夷の研究を促す結果となった。そして安永7(1778)年、ロシア人が厚岸(あっけし)に来航し、松前藩に通商を求めたのである。

 仙台藩の侍医工藤平助は、北辺に関心を抱く1人で、ロシア問題を憂い、天明元(1781)年『赤蝦夷風説考(あかえぞふうせつこう)』下巻を著し、同3年に上巻を書いて完結させた。

 平助によれば、ロシア人が蝦夷地へ来るのは交易のためであるから、要害や抜荷(ぬけに)禁制のため蝦夷地を開拓してロシアと交易すべきであるという。蝦夷地の金銀銅の発掘は有益であり、これをもってロシアのみならず清、オランダと交易すれば、国は潤うが、もし蝦夷地がロシアの配下となれば後悔することになる、と警告した。

 平助は上下巻について、序で「見給ふ人、上の巻にてたりぬべし、下の巻はみ給ふに及ばぬ事どもなりかし」という。

 すると下巻は一見不必要にみえるかもしれないが、下巻にはロシアの地理・歴史・言語などの幅広い情報が記載されている。

 下巻に「ゼヲガラーヒの説」とか、「ベシケレイビング・ハン・ルユスランド」という名称がしばしば出てくるから、平助は主に2冊の蘭書を参考とした。

 前者の「ゼヲガラーヒ」とは、蘭訳本『一般地理学』(Algemeene Geographie)である。原本はドイツ語本で、1冊本、3冊本、4冊本、6冊本と出版され続け、これらはすべてオランダ語に翻訳され、蘭訳4冊本は1756年に、蘭訳6冊本は1769年にアムステルダムのピーテル・メイエル書店(Pieter Meijer)から出版された。6冊本はクラメルス(Ernst Willem Cramerus)によって蘭訳されたため、わが国で『葛辣黙魯私(カラメロス)地誌』とも呼ばれた。

 この蘭書の第14本は、「帝政ロシア誌」(Beschryving van het Keizerryk Rusland,of het Russische Ryk)である。ここを参照したのであろうが、翻訳が部分的で原文との比定は難しい。

 平助は下巻で「1769年、明和7(6)年開板のゼヲガラヒ」と言っているから、蘭訳6冊本を参考としたのである。

 後者の「ベシケレイビング・ハン・ルユスランド」とは、『ベスフレイフィンク・ファン・ルスラント』(Beschryving van Rusland)のことで、「1744年開板」の『ロシア誌』である。これは蘭学者間の通称名で、当時ロシアを知る基本的蘭書の1冊であった。

 定信も後述するようにロシア知見の主要蘭書としていた。

 岩崎克己によれば、吉雄幸作は安永6、7年ごろ、商館長フェイト(A.W.Feith)からこの蘭書を入手した。吉雄幸作は天明元(1781)年、フェイトに随従して江戸参府をしたが、このとき『ベスフレイフィンク・ファン・ルスラント』の内容を平助に教えた、と考えられる。

 なお、岩崎によれば、この蘭書は江戸滞在中の吉雄幸作から福知山藩主朽木昌綱に買い上げられ、前野良沢に下賜されたとあるから、その広まり具合が分かる。


(福島大名誉教授)


磯崎 康彦

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外交と蘭学・アイヌ騒乱(1)
アイヌ騒乱で松前藩に協力した「ションコ」(仏のブザンソン美術館蔵)

【2009年2月25日付】
 

 

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