◇田中須美子さん(94)《2》神様のような人だった

 

◆クラロン会長

 「田中善六」という存在を抜きにして、私の今はあり得ません。

 田中善六は、1947(昭和22)年に結婚して亡くなるまでの55年間、私が添い遂げた夫。気恥ずかしいけど「生まれ変わってもまた2人で人生を歩みたい」と思う最愛の人ですが、それ以上に人間として尊敬できる人でした。

 彼を一言で言い表すと「神様のような人」。心遣いやいたわりの気持ちにあふれ、誰にでも優しい。特に弱い立場の人を一生懸命に応援しました。

 その姿勢は会社内でも、社外でも一切変わることはありませんでした。

 社内では、障害のある社員にマンツーマンで根気強く仕事を教えました。社外では、社会奉仕団体のロータリークラブに入り地区ガバナーを務めたりして、より良い社会をつくるために全力を傾けていました。

 正義感が強い人でもあります。

 夫は元陸軍士官。太平洋戦争で九死に一生を得て復員し、福島市の大蔵省管財支所で働きましたが、1年たたないうちに公職追放で官職を追われます。その後、建設会社に勤めましたが、会社は配給制度を悪用し水増し請求していました。戦後の混乱期にあっても勤め先の不正を許せず、そこも半年で辞めました。

 夫は「こうしろ」と命令することはありませんでした。いつも自分を律することを意識していました。私は94年の生涯で、これほど素晴らしい男性に出会ったことがありません。

 夫が2002(平成14)年に亡くなって机を片付けていたらメモが出てきました。

 それには「笑顔を絶やすな」「あいさつしたか」「感謝したか」「油断はないか」「満足の一日だったか」と書かれていました。これらは、夫がいつも口にしていた言葉でした。

 その言葉は今、会社の私の机に写真と一緒に飾ってあります。私はそれを毎日見て心を引き締めています。社員も時折、私の机に来て写真立てを見ては、再び自分の机に向かいます。夫は亡くなっても、私たちに大切なものを残してくれました。