【座談会・下】困難、何度だって克服 愚直さとしなやかさ

 
座談会に臨む(右から)重富、竹之下、大戸の各氏。撮影時のみマスクを外すなど感染症対策を徹底して語り合った

 連載「黎明(れいめい)期の群像」を振り返った座談会出席者は、医療の充実を目指した先人の挑戦を踏まえ、医療人材育成へ展望を探った。

 大きな研究成果

 中川 地方にいながら世界的な研究成果を出した大原八郎についてうかがう。

 竹之下 大原八郎は大原病院の創立者・大原一の娘婿。1924(大正13)年の年明け早々、福島市の大原病院に3人の奇妙な患者が訪れ、八郎の愚直なまでに野兎病(やとびょう)研究にささげた人生が始まった。「生きた野兎(のうさぎ)を捕らえて調理したところ、早々に発熱し、脇の下にグリグリができた」という患者を診察した医師は当初、梅毒性のものと疑った。しかし、居合わせて相談を受けた八郎が問診すると、阿武隈地域で同様の熱病が発生している事実が判明し、新たな病気を疑い研究を開始した。

 同じ頃、同様の患者が来訪した宮城県の東北帝国大付属病院でも研究が開始され、八郎による野兎病の究明は大学チームと先陣争いの様相を呈した。25年3月12日、八郎が『実験医報』に論文を発表すると、わずか2日後に大学チームが『東京医事新誌』で論文を発表した。辛うじて野兎病発見の栄誉は八郎の手になったが、そこで新たな問題が発生した。

 原因について八郎は細菌説、大学チームはスピロヘータ(梅毒などを感染させる病原微生物)あるいはウイルス説を唱え真っ向から対立した。明らかにするには病原体を突き止めるしかないと、八郎は人体実験を考え始めた。しかしリスクの高い実験の被験者が簡単に見つかるはずもない。

 最終的に八郎の妻りきが自ら志願し、実験は成功した。抽出された病原体は協力者芳賀竹四郎の名前と合わせて「大原=芳賀球菌」と命名され、共著論文が発表された25年9月26日が原因菌確定の日となった。論文にはリンパ腺が膨張した妻りきの無着衣の上半身写真が掲載され、摘出手術は原因菌に影響を及ぼすことを避けるために麻酔なしで行われた。夫婦の壮絶な覚悟が伝わるエピソードだ。

 一方、その頃、全く別に野兎病を研究していた米国のエドワード・フランシスの論文「ツラレミア」に触れた八郎は、野兎病と同じ病気ではないかと考え、研究記録を彼に送った。フランシスは八郎の協力を得ながら同一疾患の証明に成功し、26年5月、学術誌『JAMA』で発表した。2人の執念が生んだ偉業だ。

 八郎の野兎病研究に対する「愚直なる継続」は、福島医大の研究に対する伝統とも言える二つのキーワードの一つ「愚直さ」に重なる。もう一つは、病原体を突き止める手段がなく困難に直面した時の「しなやかさ」。議論を重ねるだけでなく、科学の真理を突き止める方法を模索して実行したことだ。私たちは、愚直の中にも常に新しい選択肢を探し求め、繰り返しチャレンジする柔軟性を持っている。この「しなやかさ」があってこそ、「愚直さ」を追求できると考える。

 医療人材の育成

 中川 地方の医療を充実させるためには人材育成が欠かせない。後藤新平らを育んだ須賀川医学校の流れは福島医大へとつながる。医学部生の意志や誇りはどのようなものだったのか。

 重富 福島医大医学部の前身である福島女子医専の開校時には、優秀で、医学に対する意識も高く、気概に燃えた女性たちが集まってきたことが分かった。戦争終結後、県知事は女子医専を廃止して看護学校にすることを表明したが、当時の女子医学生たちが全県を回って署名を集め、医学部の必要性を県民に訴え、新たに福島県立医科大学医学部を開校した歴史がある。今や複数の学部を擁する総合大学となり、震災以降は世界に通用する、質の高い医学研究をたくさん行っている。昔も今も学生の意識は高いと思う。同窓会としても彼らとの交流を深めて、活発に活動していきたい。

 竹之下 学内の風土について話したい。本県は数々の困難を乗り越え、何度でも立ち上がってきた。福島医大の研究に対する伝統「愚直さ」と「しなやかさ」はそうした風土から育まれたものではないか。本県出身の先人たちの偉業に続くべく、世界と競う研究成果や科学に基づいた情報を本県から世界に発信できるように日々、研究にまい進している。新しい価値の創造に向けて不屈に未来を歩み続ける。野兎病のフランシスへの研究記録送付から論文化に至った一連の支援は、福島医大が目指すべき姿だ。ごく最近の実例では、福島医大「医療―産業トランスレーショナルリサーチセンター(TRセンター)」が独自に確立した抗原や抗体の網羅的な解析技術「タンパク質マイクロアレイ」を活用し、抗体医薬品などの開発を支援しているが、結果的に「福島の抗体が世界を救う」となるだろう。

 中川 震災後、災害医療や放射線と健康被害について切実な課題となった。新型コロナでは災害級の対応や創薬研究が注目された。ニーズが多様化する時代に立ち向かう医療人材の育成が必要だ。若い方々にメッセージをお願いしたい。

 重富 震災と原発事故の時、浜通りの病院で勤務していたが、みんなが避難する中、家族の避難を見届けて病院に戻った医療従事者や事務職員がたくさんいた。今勉強している若い方々もいざとなれば、そう行動してくれると信じている。

 大戸 高木友枝(ともえ)の有名な言葉がある。「医者である前にまず、人間であれ」。言葉にすると偉そうに聞こえるかもしれないが、高木が一番言いたかったことは、周りの人を大事にして誠実に向き合いなさいということ。これは若い人たちにも、全ての職業に言えると思う。自分自身も一緒に共有したい。

 竹之下 福島県はきわめて苦難の歴史だったが、総力を結集して克服してきた。これからも人とのつながりを大切にして地域に根を張った医療を基盤に、世界に冠たる最先端医療を展開していることに自信を持って堂々と進んでほしい。

【座談会出席者】
・竹之下誠一氏(福島医大理事長・学長)
・重富秀一氏(福島医大医学部同窓会長)
・大戸 斉氏(福島医大総括副学長)
▽司会=中川俊哉福島民友新聞社長・編集主幹

 6月11日にシンポ、オンライン参加募集

 本県の近代医学教育150年を顕彰する記念シンポジウムが6月11日、福島市のザ・セレクトン福島で開かれる。午後1時30分~同5時。福島医大と同大医学部同窓会の主催で、現在はオンライン参加のみ受け付けている。福島民友新聞社などの後援。

 倪衍玄(ニイイエンシエン)台湾大医学部長が記念講演、竹之下誠一福島医大理事長・学長が基調講演するほか「地方医療と先進医療にどう貢献するか」をテーマに福島医大の教員らが発表する。問い合わせは同窓会(電話024・548・1650)へ。