回想の戦後70年 漫画・特撮編−(4)つげ義春作品

 

 高度経済成長期で、学生運動が激しさを増していた1967(昭和42)年。交通網や通信網が発展し社会全体がせわしくなった時代に逆行し、どこか懐かしい風景を探し求めた男がいた。漫画家つげ義春さん(77)だ。この年の秋、東北地方の湯治場を求め歩いた際、その雰囲気に魅了され、翌年には「旅もの」と称される作品を描き上げた。

 つげさんは、歴史を感じられる場所や生活くささがある所を好んだ節がある。特に、旅行く漫画家の琴線に触れたのが天栄村湯本地区にある岩瀬湯本温泉と二岐温泉だった。

 「私の温泉好きは、このときに始まったと思える」と言わしめた場所。湯本地区は戦後、炭焼きなどで生計を立てる家も多かったといい、茅葺(かやぶ)き屋根の家が立ち並び、周囲から置き去りにされた世界のようだった。

 その世界が漫画「二岐渓谷」の舞台だ。二岐温泉を題材に68年、月刊誌「ガロ」に発表した中編作品。わびしさや寂しさの混在する作風が反響を呼んだ。

 同じ年、代表作となる「ねじ式」も発表。つげさんは漫画家の"絶頂期"を迎える。「全共闘世代」といわれる、社会に怒りをぶつけた学生ら若者たちに熱狂的なファンが多かった。

 ただ、多忙だったであろうこの時期にも、つげさんは何度か両温泉を旅し、ひなびた温泉宿を楽しんでいたという。

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 学生運動や70年安保闘争で荒れた全国の大学キャンパスが、すっかり静まっていた77年。「大学時代、東京で故郷の風景が描かれているのを見て、ぐっときた」。天栄村職員の小山志津夫さん(59)は初めてつげ作品に触れたとき、故郷の湯本地区を離れ、東京で暮らしていた。「ペン画が衝撃的だった。学生当時は、生まれ故郷が貧しいとずっと感じていた」と話す。

 小山さんは大学卒業後、村で働くことになる。役場に勤め、さまざまな角度から故郷を見詰めてきた。県内の農村地帯にも工場進出が相次ぎ、出稼ぎ(季節労働)は以前ほどでなくなったが、天栄村の人口流出は続いていた。昔ながらの茅葺き屋根の家は少なくなり、70年代に入ると湯本地区でゴルフ場やスキー場開発が進んだ。小山さんは、中通りと会津地方の中間点にある湯本地区の将来を思案する機会が増えた。

 その時、小山さんは、湯本地区に馬頭観音祭など伝統が脈々と受け継がれていることに気付く。「生まれ故郷の天栄村湯本は少しも貧しくなかった」という「答え」を発見した。地域資源の豊かさ、住民がつながることの大切さ。「村の豊かさに気付いてから、あらためて、つげさんの作品を読むと、この地区の良さを理解してくれていたことが伝わってきた。作品の奥深さを知った」という。漫画が物の見方を成長させてくれた。

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 天栄村を訪れたつげさんが「来てよかった。これまでで最高のところだ」と称賛した岩瀬湯本温泉。宿泊先は築140年を超える茅葺き屋根の大きな旅館「湯口屋」だった。内装に手を加えてはいるが、大きな柱などは今も昔のまま残る。女将(おかみ)の星真紀子さん(65)は当時まだ高校生で、漫画家と直接顔を合わせることはなかった。

 「最初はつげさんのすごさをよく知らなかったが、後になってファンの多さに驚いた」と星さんは振り返る。つげさんの足跡をたどるファンが多く、漫画家が泊まった部屋から外を眺めるなどして思い思いの時を過ごしていく。「無我夢中で40年間、旅館を切り盛りしてきたが、つげさんのファンは本当によく訪ねてくれた。その魅力が分かる気がする」。静かな湯の里を守ってきた星さんは、ファンの心をずっと離さない作品と漫画家の力に思いをはせる。

 つげさんの名を、表舞台で見聞きすることは少なくなった。しかし、若い時代を熱狂的な雰囲気の中で過ごした多くのファンは、つげさんの思いが込められた本を今も変わらずに持ち、全国各地で旅を続けているのだろう。

 つげ 義春(つげ・よしはる。本名・柘植義春)1937(昭和12)年、東京都葛飾区生まれ。漫画家、エッセイスト。55年に単行本「白面夜叉」でデビュー。65年から月刊誌「ガロ」に作品を発表。70年代前半には「リアリズムの宿」などを発表。孤独さのなかに、素朴な叙情をうたいあげ、全国に根強いファンを持つ。旅を題材とした作品も多く描き、天栄村の二岐温泉を題材にした「二岐渓谷」、会津地方の玉梨温泉を舞台にした「会津の釣り宿」などがある。旅ものを気に入ったファンたちは、作品を持ちながら、山奥の湯治場などを訪ねるという。

 二岐渓谷 月刊誌「ガロ」の1968(昭和43)年2月号に発表された。つげ義春さんの旅ものの作品。前年秋に単独で東北旅行に出た際、天栄村の岩瀬湯本温泉と二岐温泉を訪ねたつげさんが、「このあたりで一番貧しそうな宿はどこですかね」と探し出した温泉宿が二岐温泉の「湯小屋旅館」。多くの秘湯ファンが今でも足を延ばしている。