高橋洋平氏寄稿(4)与えられた環境の中で 精神の自由は奪えない

 

 昨年3月、JR常磐線が全線開通し、浜通りが南北に一本の線路でつながりました。これは交通インフラの復旧にとどまらず、象徴的な自由を取り戻したと感じられる出来事でした。一方で、10年経(た)っても避難指示により、ふるさとに帰ることができない人がいます。

 このように自由な移動にかけては、どの地域よりも光と影を持つ福島において、コロナ禍による移動の制限をお願いせざるを得ない状況は、やりきれない思いがします。我々は震災時と同様、ごく日常の自由が奪われ、当たり前が当たり前ではなくなった世界を経験しています。

 甲子園や合唱コンクールが中止になるなど、子どもたちの夢の舞台も奪われました。失意のどん底にあっても、磐城高野球部や会津高合唱部などの子どもたちは、共通することを言っていました。

 「下を向いてばかりいられない、それでも前を向く」
 「まだできることはある。やれることを全力でやろう」

 子どもたちは苦しみながらも、コロナ禍における「新しい自由のかたち」を示しました。コロナは夢・目標を奪い去ったようにも思われましたが、与えられた環境の中で「いかにふるまうか」という、精神の自由だけは奪えなかった。この精神は、スピノザやカントの強靭(きょうじん)な自由観に通ずると思われます。

 不自由さを受け止め、それでも誠実に行動することで、自由を見いだすことができる。何かと不自由な今、子どもたちの言葉を心のワクチンにして、精神は自由でありたいものです。

 たかはし・ようへい 宮城県登米市出身。東北大教育学部卒。2005年に文部科学省に入省。教育改革推進室専門官、私学助成課長補佐などを経て16年から本県に出向し、教育総務課長を3年、企画調整課長を2年務めた。21年4月に同省に復帰し、情報教育・外国語教育課長補佐を務める。