【建物語】白河ハリストス正教会・白河市 「坂本龍馬のいとこ」神父に

 
築100年超の歴史を持つ白河ハリストス正教会。こぢんまりとした白亜の洋風建築が愛らしい印象を受ける。周囲には手入れの行き届いたバラが植えられている=白河市

 東北の玄関口・白河市にたたずむ築100年超の白亜の教会。葱坊主(ねぎぼうず)のような屋根の飾りからも異国情緒が漂う。県重要文化財「白河ハリストス正教会」の聖堂だ。作家司馬遼太郎は1988(昭和63)年にここを取材に訪れ、「街道をゆく」シリーズの一つ「白河・会津のみち」で「野バラの教会」として紹介している。

 正教会はギリシャや東欧、ロシアへと広がったキリスト教で「ハリストス」とはキリストのこと。幕末に今の北海道・函館にあったロシア領事館付きで来日したニコライ司祭が伝道し、明治になって全国に広がった。

 聖堂内部には聖像画

 「教会の歴史は140年以上。白河市内外の信者約30戸で守る教会です」。信者の責任者(執事長)の大寺浩さん(79)=同市=が案内してくれた。白河が激戦地となった戊辰戦争から10年後の1878(明治11)年、地元の7人が受洗して創立。82年に最初の土蔵造りの会堂(現存)、1915(大正4)年に聖堂が建った。

 創立期に白河で洗礼を授けたのが旧土佐藩士の沢辺琢磨。坂本龍馬のいとこで、1884年から91年まで同教会の神父として白河で暮らした。「沢辺はニコライ司祭を殺そうとしたが、逆に感化され、最初の日本人司祭になった人物です」と大寺さんが教えてくれた。

 沢辺は会津とも縁がある。戊辰戦争後、会津藩家老西郷頼母から息子を託され、幕末には新島襄(後に会津藩の山本八重と結婚)の密出国を手助けした。「沢辺の生涯は実に魅力的。司馬さんも沢辺との関係を知っていたら『野バラの教会』は違った内容になっていたのでは」と大寺さん。

 同教会は聖人などを描いた聖像画(イコン)も有名だ。収蔵するイコン51点は県重要文化財の指定を受ける。聖堂内部は神秘の世界。イコンで構成された壁の神聖さに言葉を失う。司馬も「異教徒の私にも荘厳な光の国にいることが感じられた」と記している。

 「この大部分は18~19世紀に制作され、ロシアから寄贈された貴重なものです」と大寺さん。玉座に座るキリストや聖母マリアの絵など7点は日本初の女性聖堂画家の山下りんの作品という。山下は明治初期にロシアでイコン画法を学び、帰国後は東京のニコライ堂でイコン制作に生涯をささげた。

 教会は老朽化や東日本大震災の被害もあり、文化財としての保存には苦労が尽きない。「地域に開かれた教会として、信仰のともしびを守り、後世に残していきたい」と大寺さんは優しいまなざしで語った。

 間違えて教えた

 司馬はなぜここを訪れたのか。詳しいのが近所の昭和堂書店社長の鈴木雅文さん(62)。当時鈴木さん所属の白河青年会議所が30周年記念事業の講師に司馬を招いた。鈴木さんは白河に来た司馬をホテルまで送り、一時別れた。しかし、その後教会に入れないでいる司馬と遭遇し手助けしたという。

 「司馬さんは山下りんについて語り出し、博識さに驚いた。教会は昔から遊び場だったけど、山下りんをこの時に初めて知った」と鈴木さん。その際、教会の庭に「野バラ」が咲くと鈴木さんから教えられた司馬が「野バラの教会」と名付けた。「本当は『ツタバラ』なんだが、間違えて教えてしまった。でも『野バラの教会』で定着してしまった」。思わぬ"真相"に驚き、辺りを見ると、風に揺れるバラがまるでうなずいているかのようだった。(国分利也)

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 白河ハリストス正教会の聖堂 ビザンチン様式の木造平屋(一部2階建て)。間口約8メートル、奥行き約14メートル、総平面積約101平方メートル。内部は玄関を兼ねた「啓蒙所」、中心部の「聖所」、奥に「至聖所」が配置されている。普段は施錠されており、内部の見学はできない。毎月第3日曜日午前10時ごろから礼拝が行われている。住所は白河市愛宕町50。見学希望の場合は同教会(電話0248・23・4543)へ。

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