【建物語】奥山家住宅・国見町 二つの顔、思い出刻む

 
西洋のルネサンス様式の洋館(左)と和風建築の主屋(右)の組み合わせが特徴の「奥山家住宅」(ドローン撮影)

 国見町の中心部にある商店街の一角に、周囲の店や住宅の雰囲気とは一線を画す、大正ロマンを感じさせる洋館が立つ。近づくと洋館に加え、対照的な和風建築の主屋も見えてくる。国登録有形文化財の「奥山家住宅」だ。

おしゃれな洋館

 ちょうど100年前の1921(大正10)年に建てられた。中央の玄関でつながる平屋の主屋と洋館は木造。「迎賓館」とも称される本格的な西洋ルネサンス様式の洋館は八角形の塔が目を引く。

 「奥山家3代目(忠左衛門)は婿養子でしたから、何かしら業績の証しを残したかったのでしょうね。デザインはイシさん(妻)の意向が反映されたのだと思います」。現在の所有者で、奥山家6代目の奥山トキ子さん(75)がそう教えてくれた。住宅は奥山さんにとって曽祖父母に当たる2人によって建てられた。

 奥山家は江戸時代の1840年前後から昭和初期にかけ、呉服屋、地主、金融業を営み、伊達地方有数の豪商として栄えた。明治期には、北海道に山林を所有し、秋田県で製材業を手掛けるなど幅広く事業を展開した。

 2代目の長女であるイシの婿養子に入った3代目忠左衛門は、現在のJR藤田駅や銀行の誘致に尽力するなど、町の近代化に貢献した。住宅は、忠左衛門が亡くなる7年前に建てられたものだ。和洋の様式を好対照に取り入れた造りが、その当時の繁栄ぶりをうかがわせる。「型にはまらない設計やデザインは当時のハイカラな流行を取り入れたんだと思います」。奥山さんは住宅を「女性的でおしゃれな家」と表現する。

 住宅には、当時の最先端の建築技術が詰まっている。洋館の特徴的な屋根には流行していた耐久性のある建材をいち早く使用。外壁はタイル状の白れんがで、同時期に建てられた東京駅の赤れんがと同様に「化粧れんが張り」という技法が採用されている。細長い窓には飾り枠、内部の天井には地中海の植物「アカンサス」の葉などを表現した装飾が施されている。

 非常時の備えも当時の最先端だ。当時はもらい火から住宅を守るため周囲を石蔵などで囲んでいた。しかし、洋館は道路に面しており、囲むことができなかった。そのため、窓には珍しい防火シャッターが付けられていた。「幸いなことに一度も使わないまま今日まで来ることができました」と奥山さん。「幼少の時はまだ(洋館が)珍しくて、家族の女性たちは床に座って裁縫をしていましたね」と笑いながら思い出を話してくれた。

戸に七福神100体

 一方の主屋には、西から上段の間(12畳)、次の間(10畳)、前の間(12畳半)があり、100体の七福神が彫られた板ふすまをはじめ、松竹梅、鶴亀、龍の彫刻が施され、「おめでたい」接待空間が広がる。かつては地域の婚礼でも使われたといい、家族だけでなく、地域の人々の大切な思い出をつくった場所だった。

 「私の母が家を貸して、10組程度がここで披露宴をしたんです。今でも『ここにお世話になったんだ』なんて近所の方に言われるとうれしくなりますね」と奥山さん。東日本大震災などで被災したが、修繕しながら歴史をつないできた。100年を経過しても古さを感じさせず、モダンで温かみがある奥山家住宅は、これからも町のシンボルとして愛され続けるのだろう。(石井裕貴)

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 奥山家住宅 和風建築の主屋、八角ドームを持つ洋館とも1921(大正10)年完成。ヒノキなど主要木材は自社の製材所から運ばせたという。個人所有の建造物のため通常は公開していないが、義経まつり(9月)などの際に特別公開している。国見町はインターネットで住宅内部の様子を公開している。住所は国見町藤田字北11。問い合わせは国見町企画調整課地域振興係(電話024・585・2967)へ。

奥山家住宅の地図

NHKラジオ第1「こでらんに5 next」で毎週木曜にコラボ企画 

 建物語は福島民友新聞社とNHK福島放送局の連携企画です。NHKラジオ第1で毎週木曜日に放送される『こでらんに5 next』(休止の場合あり)のコーナー「ふくしま見聞録」で紹介される予定です。