【建物語】福島市写真美術館・福島市 長い眠りから覚めて

 
信夫山のふもとにある、かつて旧日本電気計器検定所福島試験所として使われた建物。東日本大震災で被災したが、修復され29日に開所する

元は電気試験所

 「社会人の第一歩を踏み出した建物」。特別民間法人「日本電気計器検定所」(日電検)東北支社=仙台市=に勤める福島市出身の石川剛さん(48)は懐かしむ。建物とは福島市のシンボル・信夫山のふもとにある築99年の「福島市写真美術館」。石川さんの勤務当時は日電検福島試験所だった。東日本大震災で被災し休館していたが、復旧や耐震工事が完了し、10年を経て29日に正式開所する。

 1922(大正11)年、旧逓信(ていしん)省(通信や郵便、電気などを担当した中央官庁)の電気試験所福島出張所(後に福島支所)として建てられ、取引用電気計器の検定業務などを担った。日本初の検定業務が行われてから10年後のことで、東京、大阪に次いで3番目。所管は東北をはじめ、北海道や樺太(現サハリン)にまで及んだというから驚きだ。生糸の一大生産地として急速に近代化が進んだ福島の繁栄ぶりが分かる。

 建物は石造りの2階建てで、赤い洋瓦がふかれ、壁や天井は漆喰(しっくい)塗りのシンプルな洋風建築。張り出した玄関周りや装飾、縦長の窓で石柱を意識させる意匠が特徴だ。官公庁の建物は明治から昭和にかけ装飾性を失うが、建設当時はその過渡期。希少だとして2002年に市有形文化財に指定された。福島の近代史に詳しい柴田俊彰さん(71)は「市内の洋風建築物の多くは壊され、行政が指定・保存するものでは唯一。大事にしていかなければならない」と強調する。

 1965年、業務統合により後継組織の日電検が設立され、日電検福島試験所になった。冒頭に登場した石川さんは約30年前、福島商高を卒業し試験所に就職した。「印象的なのは立派な階段や重厚な所長室。職員の誰もが建物の素晴らしさに誇りを持っていた」と振り返る。

 試験所は98年に仙台に移転、福島での75年超の歴史に幕を閉じた。一時空き家となったが、譲渡を受けた福島市が2003年に1階部分を復元整備し、写真美術館として開所した。石川さんは「震災以降休館していたので心配していた。再開は本当にうれしい」と再訪を楽しみにしている。

力合わせて残す

 震災後、市は同館を解体する考えだった。壁に亀裂や崩落などの被害があった上、特殊構造のため耐震補強などに技術的な問題が生じた。しかし、建築関係団体有志による保存運動や市民、専門家でつくる検討委員会の提言を受け、一転して建物の修復を決めた。

 「福島の歴史を物語る貴重な建築物を力を合わせて残すことができた」。設計などを担当したボーダレス総合計画事務所(福島市)の鈴木勇人代表(48)は語る。市は専門家らとともに構造などを調査。文化財価値を損なわないため補強面を露出させない手法を採用するなどして19年から耐震補強工事に取り組んだ。鈴木さんは「2月の本県沖地震でも被害はなかった。観光資源として上手に活用し地域活性化につなげてほしい」と願う。

 同館の愛称は「花の写真館」。写真に特化した理由は写真家の故秋山庄太郎さんにある。秋山さんは「花見山」をこよなく愛し「福島には桃源郷がある」の名言で、全国に紹介したことで知られる。館長の菊地威史さん(65)は「福島と秋山さんの関わりを象徴する施設をしっかりと守っていきたい。写真の展示に限らず多様な活用も考えている」と意気込む。開所に花を添える秋山さんの写真展とともに建物にも注目してほしい。(国分利也)

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 福島市写真美術館と秋山庄太郎 秋山さんが2001年に「市ふるさと栄誉賞」を受賞した際に多数の作品を寄贈、市がその展示のため開館した。秋山さんは建物を気に入っていたが、開館3カ月前に他界した。29日から6月末まで秋山さんの写真展が開かれる。無休。観覧無料。午前9時~午後4時30分。住所は福島市森合町11の36。問い合わせは同館(電話024・563・4990)へ。

福島市写真美術館の地図

NHKラジオ第1「こでらんに5 next」で毎週木曜にコラボ企画

 建物語は福島民友新聞社とNHK福島放送局の連携企画です。NHKラジオ第1で毎週木曜日に放送される『こでらんに5 next』(休止の場合あり)のコーナー「ふくしま見聞録」で紹介される予定です。