【建物語】高橋家住宅・川俣町 時代読みしなやかに

 
店蔵の裏手に位置する広々とした居住部分(大座敷)。当初のものと推定できる数多くの建具が残され、当時の空気感を伝える

 薄い絹織物「軽目羽二重(かるめはぶたえ)」の産地で、絹の里として知られる川俣町。町中心部に位置する瓦町周辺には、江戸末期から明治のころに建てられた蔵が今もなお点在し、当時の繁栄ぶりを垣間見ることができる。通り沿いにたたずみ、店蔵などがひときわ歴史を感じさせる建物が「高橋家住宅」だ。

 住宅の歴史は約170年前にさかのぼる。高橋家は1851(嘉永4)年、現在の土地と建物(現奥座敷)を購入した。この建物は伊達家のお抱え医師(御典医)石川休仙の屋敷だったと伝えられている。54年に表通り沿いの土蔵造りの店蔵と居住部分を建造、増築や修繕を繰り返し今に至る。

古関、身近にいた

 高橋家は、江戸時代から絹問屋、質屋、みそやしょうゆの卸売りなどいくつもの商いを手掛けてきた商家で、建物の中からは、機織り機など商売にゆかりのある品々が見つかっている。「時代の変化に伴い、商売もその時々で変えていったのだと思います」。住宅の所有者、村上杪(こずえ)さん(69)=栃木県在住=が歴史をひもとく。村上さんは、高橋家3代目当主高橋儀助さんの孫、高橋歌子さんのめいに当たる。高橋家に住み続け4年前に他界した歌子さんの遺志を引き継ぎ、住宅を守り継いでいる。

 高橋家は明治時代に呉服屋を営んでいたが、生業(なりわい)を変え、1926年に「高橋酒店」を開店。村上さんは「このころはとても景気が良かった。儀助さんは新しいもの好きで、開店の時は多くの旗を立て、大々的に祝ったみたいです」と語り、当時の高橋酒店を写した写真に目を落とす。

 住宅の真向かいには、1915年に開業した川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)があった。福島市出身の作曲家古関裕而が、高校卒業後に行員として2年勤務していたことでも知られる。村上さんによると、歌子さんは生前、「銀行の屋根の上でハーモニカを吹いていた裕而さんの姿を今でも覚えている。酒店の番頭さんが『何だあの若い行員は。ハーモニカばかり吹いて』と笑っていたのが思い出される」と話していたという。

思い受け継いで

 村上さんの案内で住宅を訪ねた。道路に面した幅約1.5メートルの表門をくぐると、敷地内を貫く、奥行きのある路地が現れる。「奥行きの長い短冊形の敷地は、京都の町割りを参考に整地された」と村上さん。住宅内に入ると、まるで映画やドラマのセットのような空間が広がっていた。村上さんは「町には腕の良い建具屋さんがいたそうで、細かい格子状の細工をした欄間や神棚をはじめ、構造部材のほとんどが当初のまま残されています」と教えてくれた。

 自宅裏手には今でも3階建ての立派な蔵がそびえ立っている。村上さんは「3階建ての蔵は珍しい。質屋を営んでいたので、質草を保管するために高く建造したのではないか」と推測する。

 歌子さんは生前、「この家をただ保存するだけでなく、多くの人が集うように活用していってほしい」と繰り返し口にしていたという。その言葉を「遺言」として受け取った村上さんら有志が2018年に「高橋家住宅保存会」を設立。村上さんが代表を務め、毎月住宅を一般開放して、歴史を伝え続けている。

 かつての町の繁栄を支えてきた高橋家住宅。時代を超えてもなお、そこに生きる人たちによって歴史は語り継がれ、「町発展の屋台骨」としてあり続ける。(福田正義)

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 高橋家住宅 1851(嘉永4)年に高橋家が土地と合わせて購入した建物。土蔵造りの店蔵と住宅部分を組み合わせた造りで、江戸末期の居住環境が残されている。毎月第3日曜日に一般開放され、ミニライブや各種イベント会場として活用している(今月は23日、29、30の両日も開放する)。住所は川俣町瓦町28。問い合わせは高橋家住宅保存会(電話090・8045・4481)へ。

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NHKラジオ第1「こでらんに5 next」で毎週木曜にコラボ企画

 建物語は福島民友新聞社とNHK福島放送局の連携企画です。NHKラジオ第1で毎週木曜日に放送される『こでらんに5 next』(休止の場合あり)のコーナー「ふくしま見聞録」で紹介される予定です。